2019年1月30日

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 年明けから体調を崩して死にかけのカエルのような声をあげてソファーの上で寝返りを打っているところにアパートの更新の通知が届く。12万6000円。わずかばかりの貯金が底をつき、ひとまず契約してからほとんど観ていなかったhuluを解約する。焼け石に水。重たい頭をぐるぐる回しながら「なぜこんなにも金がないのか」と考えてみると、「使いすぎ」という簡単すぎる答えにたどり着く。資本主義の世の中では、金銭は収入の範囲内でしか使えない。哲学的。堅実さのかけらもない生活に、自分のことながら冷や汗が出る。

 小説版の『カラフル』(森絵都著)を久しぶりに読み返した。15年前、おそらく小学校5年生くらいのときに読書感想文の宿題で読んだことがあり、話の内容もなんとなく覚えていたのだが、今あらためて読むと思春期の心象描写の繊細さに驚く。自殺した中学生男子が、もういちど現世の体を借りて「ホームステイ」として人生をやり直す……というのが大枠のストーリーで、いわゆる「児童文学」「ヤングアダルト」のジャンルにある。この小説に貫かれているのは、知り得ない他者の心情に想いを馳せる「想像力」への肯定である。主人公の中学生・真は一度自殺してから生まれ直したことで「知ることができなかった事実」にもう一度触れるチャンスを得る。会社の不祥事によって棚ボタ的に転がり込んだ出世を喜ぶ父親が実は会社の経営方針をめぐって役員と戦っていたことを知ったり、自分を忌み嫌っていた兄が実は自分のことを誰よりも大切に想っていることに気づいたり……。「知ることのできなかった事実」への想像力が、切迫した社会をしぶとく生きていくための救いになる。このあたりはさすがに読書感想文の課題図書に選ばれるだけあって、かなり教訓的な意味合いが込められている。

 そして、小学生の頃に読んだときも、27歳になって読み返した今も、胸に引っかかったのは同じ箇所だった。物語の中盤、主人公は密かに好意を寄せている同級生の「ひろかちゃん」が援助交際をしていることを知る。「きれいな指輪や服が、そんなにほしいのか?」とひろかを問い詰める主人公に、彼女はあっけらかんと答える。

 

「きれいな服も、バッグも指輪も、ひろかは今ほしいの。大人になってからほしいなんて思ったことないの。どうせひろかの体なんておばさんになったらもう価値なくなっちゃうんだし、価値なくなってからきれいなもの買ってもしょうがないもん。エプロンやババシャツの似合う年齢になったら、ひろかはおとなしく、エプロンやババシャツを着るよ」

 

 ひろかのセリフは「現在」という不可逆な時間への執着心、そして「きれいなもの」への純粋な欲求を端的に言い表している。鮮烈な言葉だ。もちろん、児童売春の犯罪性に議論の余地はない。援助交際をしていると「時々死にたくなる」というひろかの心情も物語の終盤に描かれている。しかしこの物語の中で、ひろかの売春は肯定も否定もされない。彼女の刹那的なセリフによって、この作品の「他者への想像力」というテーマが補強されているような気さえする。

 

「三日にいちどはエッチしたいけど、一週間にいちどは尼寺に入りたくなるの。十日にいちどは新しい服を買って、二十日にいちどはアクセサリーもほしい。牛肉は毎日食べたいし、ほんとは長生きしたいけど、一日おきに死にたくなるの。ひろか、ほんとにへんじゃない?」

 

これに対して、真は「ぜんぜんふつう。平凡すぎるくらいだよ」と答える。この物語に一貫して描かれている「想像力」の肯定が、ここに集約されている。道徳や倫理の問題を盾にひろかの発言や行動を否定したり、理解を放棄したりするのは非常にイージーだ。決してわかり合えないであろう彼女の心情に思いを馳せ、傷つきながらも歩み寄る主人公の姿は、おそらく多くの少年たちの心に刺さったのではないか。おれもそのうちのひとりだった。

 

 

カラフル (文春文庫)

カラフル (文春文庫)

 

 

 そして、アパートの更新料のために貯めておいた金を下ろしておいしいごはんを食べたり、書店で本や漫画の新刊を買い漁ったりしているおれもまた「現在」という不可逆な時間に執着しているのであった。今、自分が会いたいと思う人に会いに行きたいし、今自分が好きな人と一緒にごはんを食べたい。読みたい本は今読まないとしょうがないし、観たい映画や演劇やライブも今すぐに観ないと意味がない。「年齢を重ねて、可処分所得が増えてから」では遅い。40代に差し掛かってようやく生活に余裕が出てきた頃には、今のような切実さ、今と同じ感性で小説や美術やカルチャーに触れることができないんじゃないかという強迫観念がある。ひと月の収入のほぼすべてを使い込んで、ほしいものを買って観たいものを観るために暮らしている。大人になってからほしいなんて思ったことないの。いつか仕事も身寄りもない孤独なおじさんになったら、収入に見合った生活レベルの範囲内で節約しておとなしく生きていこうと思う……という話を『カラフル』のひろかちゃんのセリフを引用しつつ各所で熱弁しているのだが、今のところあまり共感を得られていない。節約や貯金をあきらめて、20代は散財しても手元に余るくらい金を稼ぐ方向でいく。

 

「わたしたちは仕事をしてから別れるよね」。韓国のミュージシャン、イ・ランのエッセイ『悲しくてかっこいい人』の一節より。大人になるにつれて仕事のつながりが増えて、「ただの友達」が減っていく、という話。決してそれが悲観的に描かれているわけではない。イ・ランは仕事をとても愛している。

 

悲しくてかっこいい人

悲しくてかっこいい人

 

 

 仕事を通じて知り合った人や大学院時代の研究を通じて知り合った人、というのはそれまでの「友達」とはやはり違うものだ。特に同業者の人と出会っていろいろ話を聞くのが好きなので、そういう場にはなるべく顔を出すようにしている。普段のおれは変にプライドの高いせいでたまに過剰に人につっかかっていったりする最悪の癖があるのでプライベートではなかなか友達ができにくいのだけど、仕事の話だったらわりと冷静に聞けるし、厚みはどうあれちゃんと自分なりの言葉で話していると思う、少なくとも意識だけは。プライベートでもそうありたい。苦しい日々を送っていても、山のように積まれた仕事、書くべき原稿が死ぬほどあることだけが救いになる。おれの話を聞きたい人はいないけど、テキストは読んでくれる人がいる。それ以外に楽しいことはあんまりない。

 対して、日記は誰も読んでいなくても書くけど、これは決して楽しい作業ではない。20代独身男性が自室で寝転がったり起きたりしつつ内省を繰り返しながら書くテキストにはとにかく発展性がない。他者との接触があまりにも少ないから思考を掘り下げるしかなくなってくる。自分の思考に価値があると勘違いしていられるのは自信過剰で視野が狭いからだ。うるせえよバーカ。刑務所みたいに毎朝同じ時間に起きて、同じ作業をして、同じ時間に消灯時間を迎えたい。もう着る服や食べるもので悩まなくていい。名前じゃなくて、番号で呼ばれてみたい。