正月、アイドル、石和温泉

 

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17時、池袋駅西口からラブホテル街のライブハウスへ向かう。インディーズ系アイドルの合同ライブを観に行く。ルミネのエスカレーターの前で友人と待ち合わせ。駅前のイタリアントマトで、カボチャのケーキとピーチティーを注文する。大学1年生のころ、イタリアントマトでアルバイトをしていた。時給820円。朝のシフトは主に韓国人留学生のリーさん、本仮屋ユイカにそっくりの大学4年生、ひまを持て余しているのに週に2回しかシフトに入らないおれ。リーさんは兵役を終えて日本の大学に留学した。リーさんはよく軍隊の話をしてくれた。2001年、9.11のテロの当日、リーさんの所属していた部隊は武装して軍事境界線に向かった。「北朝鮮による攻撃ではないか」という情報を受けてのことだったらしい。本仮屋さんは大学を卒業して、東北のどこかの市役所に就職した。

イタリアントマトを出て、改修された池袋西口公園にはもうかつての面影はない。きれいに漂白された円形の空間が広がっている。酒に飲まれた曖昧な人間たちを引き寄せる噴水もガムの痕跡がへばりついたコンクリートのステージも喪われた。I.W.G.Pをリアルタイムで知らない世代のおれは東京の大学生になって、西口公園のひんやりしたステンレスのベンチに腰かけて酒を飲んだ。大学の授業のあとの飲み会の帰り道、おれはたぶん参加者の半分以上から少なくともよく思われてはいなかった。オシャレな同級生たちに影でバカにされていると思い込んでいた。誰も自分に敵意を向けているわけではないのに「絶対に自分からは歩み寄らない」と固く心に決めていたので普通の会話も噛み合わなかった。飲み会で同じく浮いていた服がダサい男とたまたま帰り道の方向が一緒だったので「公園でもう一杯飲もう」と誘った。服がダサいやつならバカにされることもないだろうと考えた。金がなかったのでブラックニッカの瓶と炭酸水を買って、コップがないので口の中でハイボールをつくる。

タルコフスキーの映画を観たことあるか?」と服のダサい男は言った。いつもえらそうにものを言うやつだった。ない、と答えると「まあ、普通はシネコンでやってる作品しか観ないか」と鼻で笑った。もはや小説でしかお目にかかれない「文化系大学生かくあるべき」という感じの男だった。そのあと半年くらい経って、TSUTAYAタルコフスキーの映画を借りた。金がなかったので服のダサい男と飲むときはいつもチェーンの居酒屋、二次会は池袋西口公園かカラオケ747のフリータイム。彼は大学を卒業したあといくつかの仕事を転々として、最後に勤めた会社を無断欠勤して消息不明になった。たまに思い立ってLINEを送っているが既読がついたことはない。

ライブハウスの前にはすでに30人以上のファンが並んでいた。前回のイベントは並ばずに入れたので予想外だった。客入りは70人ほど、5組のアイドルが順番にステージに立つ。大きな声を出すと音が割れてしまう安っぽいスピーカーを通して歌声を聴き、よろよろとぎこちなく身体を揺らす。本当はコールをしたいけれど恥ずかしい。最前列で手を振る人、後方で謎のオタ芸を披露する人、壁にもたれてドリンクを飲む人。思い思いに彼女たちのパフォーマンスを味わっている。ダンスから練習の蓄積が見えるグループもあれば、どう考えてもPerfumeのコピーとしか思えないグループもいる。中盤に出演した「アイスクリーム夢少女」というグループは特に完成度が高く、センターの子はダンスのキレも歌唱力も抜きん出ていた。チケット代は無料で2ドリンク、ライブ後のグッズ販売とチェキ撮影がおそらく彼女たちの収入源になっている。グッズは次回、買おうと思う。おれはアイドルが好き。アイドル文化を愛しているというのもあるけれど、どちらかといえば恋愛的な意味に近い「好き」だという気がする。

1年前から風呂場の電球が切れている。少々不便だけどあまり買い換える気にならない。湯船に浸かる20分間だけ、暗闇でじっとしていればいい。2週間前に台所の電球が切れた。ここ半年、自炊をしていないので特に困らない。暗闇のなかiPhoneの灯りを頼りに歯ブラシと歯磨き粉のチューブを探し当て、リビングで歯を磨いて、またキッチンの暗闇へ口をゆすぎに戻る。1Kの部屋のなかで照明がつくのはリビングとトイレだけ。2階の角部屋なので陽当たりだけは素晴らしく、掃除は朝の光が入るうちに済ませる。仕事を終えて家に帰ると玄関からつながるキッチンは真っ暗で、リビングの照明のひもを引き当てるまでがひと苦労だ。エアコンのリモコンは電池が切れているので、暖房をつけることができない。毎晩寒いが電気代は安い。生活への愛着が少しずつ薄れていく。守るべきものがないのだからせめて身軽でたい。本当はそんなことはないのだけど、失うものが何もないと思い込んで仕事ができるのは今だけかもしれない。毎週『欅って、書けない?』と『日向坂で会いましょう』の放送を楽しみにしている。華やかな光を浴びてバラエティのセットの中にいる彼女たちの姿を無責任に愛して、リアルタイムでTwitterに感想を書き込む。「おすしがたくさん映ってうれしいな〜」とか「顔色がよくなって安心しました」とか。失われた生活への愛着は、今はテレビの向こう側にある。

起きている時間のほとんどを仕事場で過ごしているので、年始も3日から自分のデスクにいた。とはいえラジオを聴きながら企画書を書くために話題の本や雑誌に目を通すというほとんど趣味みたいな時間だった。仕事場のビルの近くには喫煙所がないので、近くの公園まで煙草を吸いに行く。ひまを持て余していそうな男子中学生がキャッチボールをしている。いちおう野球部っぽいけど、どっちもとにかくコントロールが悪い。フォームのバランスが悪い。足元に転がってきたボールを拾いあげて20メートル先に向かって投げ返すと、背中に強い痛みが走った。年々、体は衰えていく。高校生のときに悩まされていたケガとまったく同じ箇所がズキズキと痛んで少し懐かしい気持ちになった。

山梨県石和温泉に出張。前日の午前中に府中で別件の取材を終えて、八王子から特急「かいじ」甲府へ前乗り。甲府は3歳から8歳までの期間を過ごした町だ。親の転勤で埼玉に引っ越して以来、一度も足を運んでいない。雑務が溜まっていたので、駅前のエクセルシオールMacBookを開いて作業。15時前後という時間帯のせいか、左右の席に高校生カップルが陣取っていた。3月の大会で部活をやめようと思っていること、期末テスト前の勉強会のスケジュールのこと、空気が読めない同級生のシライシのこと、シライシが最近バイトを始めて高いアクセサリーを身につけるようになってますます気に入らないこと、ケイくんの学校は制服のボタンを上まで閉めないと生活指導で呼び出されること、それなのにスポーツクラスのやつらはボタンを開けていても一切注意されないこと、ケイくんは高校に入学してすぐにバスケ部の女子と付き合っていたけど些細なケンカで彼女に泣かれるのがいやで半年で別れてしまったこと、今の彼女はめったに泣かないけれど気が強くてすぐにキレること、同じクラスのサイトウがYouTuberになったこと、普段はギャグセンの高いサイトウのYouTubeチャンネルはあんまりおもしろくないことなどを知った。すっかり日がくれた18時ごろ、高校生カップルたちが店を出てようやく作業を再開する。東京で仕事を片付けてから来るべきだった。

宿代がもったいないので4人部屋のドミトリーに宿泊することにしたのだけど、チェックインカウンターで書類を書いていたら奥の共用スペースから「んなこと言われなくてもわかってんだよお!」という男の怒鳴り声が聞こえて一瞬で宿代をケチったことを後悔した。あいつと相部屋だったら最悪だ。もしそうなったら今からでもホテルをとり直そうと思ったが幸いなことにその日は宿泊者が少なく、4人部屋に泊まるのはおれひとりだった。部屋に荷物を置いて、パーカーとジャージに着替えて再び街へ出る。共用スペースの前を通ると、さっきまで誰かに怒鳴り散らしていた男はリクライニングチェアに座ってNHKのニュースを見ていた。「ちよだ」というほうとう屋さんに入る。ほうとうは提供までに30分かかるというので、テレビを見ながら鶏皮ポン酢をつまみ、瓶ビールをちびちびと飲んで待つ。ほうとうは思ったよりも肉の味がして、こってり風味でおいしかった。2軒目は焼き鳥屋へ。カウンターで焼き鳥を焼いているおばさんに「僕、甲府出身なんですよ」と話しかけてみたが、声が小さかったせいか何の反応もなかった。微妙にいたたまれない気持ちになったが、隣に座っていた40代くらいのスーツの男性が気を遣って「どこから来たんですか?」と代わりに返事をしてくれた。

翌日は朝8時に起きて、2駅隣りの現場へ向かった。結局、昔住んでいた町の近くまでは行けなかった。当時の幼馴染の友達も今は甲府に残っていないので、誰にも会わなかった。電車に乗る前に、甲府駅前のロータリーから武田信玄像をぼんやり眺め、「ここで育ったんだな」と思った。おれのいちばん古い記憶は、3歳のころに東京から甲府へ引っ越す車中で、母親が涙を流していたこと。東京生まれ東京育ち、バブル真っ只中の渋谷で青春時代を送り、原宿のデザイン専門学校を出て都心の大企業の事務職に就いた母親は「山梨なんかに住みたくない」と運転席に座る父の横で泣いていた。あまりにひどい理由だ。

石和温泉駅で、クライアントの担当者とデザイナーさん、カメラマンさんと合流。その日、初対面のカメラマンさんの名刺に書かれた名前に見覚えがあって、よくよく思い返してみるとおれは去年、下北沢の本屋でその人の写真集を購入していた。素晴らしい写真集だった。とはいえ写真集の内容とはまったく関係のない仕事の現場なので、話題に出していいのか悩む。取材を終え、駅で解散する直前にこっそり「写真集、持ってます。めっちゃよかったです」と伝えた。その人はニヤっと笑って「また本出すんで、楽しみにしててください」と言った。相澤義和さんという写真家の方。迫力のある顔つきだった。

タイムフリーでラジオを聴きながら東京へ戻り、15時から神保町で打ち合わせ。そのまま再び早稲田の仕事場へ向かう。昨日から着替えていなかったので一旦家に帰りたかったが、21時から別件の取材が入っていたのでデスクで仮眠をとる。