今日のラッキーカラーは金色

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床に山積みになったTシャツやパンツやタオル類をベランダの洗濯機にぜんぶぶち込んでやっとひとつ仕事を片付けた気持ちになる。生活は壊滅的にだめ。誰かを家に招くために掃除をするなんてことをここ2年くらいやっていないので、そこらじゅうに衣類やペットボトルや読みかけの本が散乱したザ・ノンフィクションのような環境に身体を適応させてしまうほうがどう考えても楽だった。生き物としての尊厳がギリギリ保てるくらいの部屋で暮らしているが、部屋の外に一歩出ればまるで清潔で几帳面な社会人かのように振る舞うことができるので、さして問題にならないだろうと思っている。『オブローモフの生涯より』という映画があって、貴族の生まれのオブローモフは薄汚いソファの上でずっと寝そべったまま生涯を終える。現代のオブローモフは右手に持ったスマホで死ぬまでTwitterのタイムラインを延々とスクロールし続ける。目が覚めると外はもう暗くなっていて、洗濯機はすでに停止していた。もはや意識が追いつけないくらいのスピードで社会は変化しているというのに、この臨場感のなさはなんだろう。チェルフィッチュが『三月の5日間』を発表したのはもう15年以上前のことで、私が観たのは2018年のリクリエーションのとき。実は2000年ごろに人間の想像力はとっくに限界を迎えていて、Twitterに流れてくる文字情報は人間の集合知を0.00001%くらいに薄めて飲みやすくなっているから、私のようなバカ舌の生き物でも無限に飲み込めてしまうのかもしれません。ホテルの外からデモの音が聞こえる。限界まで薄められたインターネットの集合知をいくら飲み込んだところで臨場感というのは得られるものではなく、一度アプリを閉じてしまったら目の前には放置しつづけた洗濯物の山のほうがおそろしいほどの臨場感をもっているのだった。アプリを閉じてからも現実は重い。私は視力が両目で0.3程度しかないにもかかわらず、10年近く裸眼で生活している。人間の表情をはっきりと認識しないまま暮らしているのは、ただコンタクトレンズを目に入れるのが怖いからというだけではなく、ぼんやりとした視界だけを頼りにコミュニケーションをとっていたほうが精神の負担が軽減されるからだと最近気がついた。クリアな視界で相手の表情から繊細な情報を読み取ろうとすると、とたんに言葉が臆病になってしまう。いつも決定的な言葉を引き出すことができなかった。目の前の人間が明らかに嘘をついているとき、具体的には当時の恋人が必死に浮気を隠そうとしているのを察したときや関係の解消を告げようとしているときに、僕はまっすぐに相手の眼を見ることができない。決定的な情報を読み取ってしまったら傷ついてしまうから。なにもわかっていないのに察したふりをして、それ以上は何も言わないでくれと願ってしまう。同じ理由で、世界でいちばん面接がきらい。点数をつけられるためのコミュニケーションって、たぶん合コンとかもそうなのかもしれないけど、誰かに品定めされるのが本当にいやだった。そうやって決定的な言葉のやりとりを避けて生きてきたので、いつも私の言葉はどこか軽い。いちおうテキストを書くことと編集をすることでギリギリの生計を立てており、言葉の力を信じていますなんて薄っぺらいことは言いたくないのですが、自分が書くテキストについては日々それなりの時間を割いて悩んでいる。この日記以外の雑誌や広告などの原稿はすべて仕事としてクライアントから受注しているので当然ながら締め切りがあって、どれだけ悩んでいても期日までに回答用紙を埋めなくてはならない。編集者にファイルを送付したあとに、あるいは印刷所にデータを入稿したあとに、いつも「軽い」と感じる。目の前の現実に対して、あるいは決定的な意味に対して、私のテキストは常に軽い。悪い意味で筆が走り過ぎていることがある。それを苦しく思うが、そこはこれからも付き合い続ける痛みなのでこれ以上は誰かに話すことではないのかもしれない。昨日は早稲田にあった事務所の荷物をすべて引き払って自宅に送った。入居していたビルは老朽化のため取り壊されることになって、今月で4年の歳月を過ごした早稲田の街に別れを告げることになった。シェアオフィスは解散し、私はどこかにひとりで自宅兼事務所を構える予定だったが結局、前職の会社の仲間と一緒に三軒茶屋の新しいオフィスに引っ越した。寂しがり屋なので。三軒茶屋は歩いているだけで楽しいのだけれど、早稲田という街のいかがわしさも私にとって居心地がよかった。上の階には韓国の新興宗教が入居していて、日曜日になると賛美歌が聞こえてくる。コロナ関連のニュースで連日話題になっていたあの教会の日本支部だ。深い関わりはなかったがいい人たちだった。駅に向かう道すがら、事務所を離れていった同僚たちのことをたまに思い出す。最後の荷物を引き上げたとき、上の階に住んでいた老人に「もうみんないなくなっちゃったのかい?」と声をかけられてすこし寂しくなった。もう戻ってきません、お元気で。この街にひとつだけラブホテルがあって、隣の部屋から漏れてくるこの世の終わりのような喘ぎ声を聞いた。天に向かって切実に祈っているような、とても叙情的で動物的な声だった。「この先の人生で、あんなにすごいセックスをすることないんだろうなあ」と恋人は言った。なんというかそれは彼女にとっても自分にとっても決定的な言葉だと思った。私が勝手に尊敬している同業者の方がここ数年ずっと「徹底的にプライベートであることが肝要である」と書かれていて、それはおそらく半分は疑うべきで、半分は本当のことなのかもしれない。おれはプライベートな地点からしか語ることができない。こういうことを考えるとき、長島有里枝のスナップショットがプライベートな地点から社会へ、政治へと肉薄したということがいつも自分の考えの拠り所になっている。『PASTIME PARADISE』という写真集がとても好きで、まずタイトルが素晴らしいですよね。夫の南辻史人を撮影した『not six』にはものすごく説得力があった。私はおそらく決定的なテキストは書けない。ただ決定的な言葉や決定的な場面をカメラのシャッターを切るように(そんなのは無理なのだけど)、焼き付けておくことだけがたったひとつのできることだ。こうやって日記を書くのはその後の暗室作業のようなもので、あとは自分の裁量で引き伸ばして露光を調整することでなるべく決定的なものに近づけていく。ちゃんと暗室作業を学んだことがないのでよくわかりませんが。おれは大学を出てから写真をほとんど撮らなくなった。撮らなくなったというよりも撮れなくなったというほうが正確かもしれない。テキスト以外でなにかを伝える手段を持たない今、日常を異化するためにはもはや占いくらいしかすがるものがない。乙女座のあなたはお調子者に見えて根はしっかり者。フットワークが軽いので、表面的には軽い感じに見られやすいですが、実は芯があり、ひとりでコツコツと進める時間も好きなタイプ。自分のやり方にこだわり、ずっと同じような服を着やすいタイプなので、流行のファッションを意識してみましょう。吉方位は西北西。ラッキーアイテムはココナッツフレーバーのハンドクリーム。ラッキーカラーは金色。だから今日は半年ぶりに美容院に行って、髪の毛先をブリーチして金色に染めてみました。超おしゃれ!