2017年9月6日

その日は久しぶりに何の予定もない休日で、午後から恵比寿で展示を観ようと布団のなかでぼんやり考えていたら結局夕方まで寝てしまった。中途半端にロマンチックで俗っぽい夢を見て、部屋から這い出てシャワーを浴びている間にほとんど忘れた。高校の頃の同級生によく似た人に会った気がする。たぶんあまりしゃべったことのない人だった。雨が続いているせいでいつまでも洗濯ができず、部屋の隅に溜まった洗濯物をゴミ袋に詰め込んでコインランドリーまで歩いて行くと、お盆休みのせいかシャッターが閉まっていた。中身が丸見えのゴミ袋をサンタクロースみたいに肩に担いで路地に佇む25歳男の滑稽な姿よ。歩いた道を引き返して、ゴミ袋はそのまま部屋の中に放った。
 食器についた水滴を丁寧に拭ったり、読み終わった本を順番通りに並べて本棚に戻したりという生活はたぶんおれにはとても難しいことで、仕事が忙しくなるにつれてキッチンや本棚がどんどん荒れていった。ベランダには台風の日に折れた傘が置きっぱなしになっていて、そろそろ片付けなきゃなと思う。


 少し前に商店街の花屋でハイビスカスの苗を買って、ベランダの室外機の上に置いた。花には特に何の思い入れもなかったが、ニトリの安っぽい家具で埋め尽くされた狭いアパートに鮮やかな花が咲いたら何だか皮肉っぽくて美しいだろうなと思い、何日か水をあげたらペンキを塗ったような黄色い花が咲いた。あまり品のない、派手な黄色だった。なぜかピンクだと思い込んでいたので少し驚いた。翌日、仕事で東北へ向かう新幹線を東京駅のホームで待っていると、隣に並んでいた旅行ツアーのガイドらしきおじさんの麦わら帽子にも同じ色のハイビスカスの花が咲いていた。それから数日間はフジロックに行くので家を空けることになっていて、花を同じアパートの住人の誰かに預けようかと考えたが、あまり近所付き合いのない若い男がいきなりハイビスカスを持って部屋を訪ねてきたらさすがに気持ち悪いだろうと思ってやめた。
 人生初のフジロックは想像以上に楽しく、興奮醒めやらぬまま4日ぶりに家に帰ると、ベランダの花は見事にしぼんでいた。茎や葉はまだ少し元気があるようだったので、もしかしたらまた咲くかもしれないと思ってリュックに入っていたペットボトルの水を全部あげた。そこから数日もたたないうちにまたしばらく家を空けることになって、たぶん枯れてしまうだろうなと思ったが結局そのままにしてしまった。

 

 雨が続いていた間にいくつか本を読んだ。引っ越してから毎日のように立ち寄っていた笹塚駅エクセルシオールは8月に入ってから冷房が効きすぎていて、ほかにゆっくり本を読んだりできる店もないので仕方なく家で過ごすことが増えた。今年の夏は甲子園の中継を見ることもなかった。家にテレビがないのでバラエティやワイドショーの不快さから切り離された反面、入ってくる情報の量は圧倒的に少なくなって、届くスピードも遅くなった。仕事柄それはどうなんだという気もするけど、それでもテレビはしばらく買わないつもりだ。


「すばる」に掲載されていた長島有里枝のエッセイが素晴らしく、低気圧による体調不良で落ち込んでいたテンションが少し回復した。ようやく晴れ間がのぞいた週末、図書館でバックナンバーを探して過去の連載を読みあさった。都写美での展覧会の前にもう一度、彼女の写真とテキストについてどこかにまとめておきたい。自分のなかで何かの指針になればと思う。笹塚図書館は蔵書こそ少ないが駅ビル直結の立地が便利で、屋外のテラスが心地よい。文献探しの息抜きに外へ出ると、受験勉強中らしい高校生のオタクたちが携帯ゲームに熱中していた。彼らなりに全力で青春を謳歌しているようで羨ましかった。たぶん大学には落ちるだろうけどそんなのは別にどうでもいいよ。彼らのすぐ後ろのベンチには運動部っぽいショートカットの女子高校生が二人で座っていて、男子グループの一人が時折チラチラと背後を振り返っているのがとても良かった。


 『人はなぜ物語を求めるのか』(千野帽子著)には、「人は「世界」や「私」をストーリー形式(できごとの報告)という形で認識している」というようなことが書かれていた。ストーリーは個人の解釈に過ぎず、都合のよい事実だけをつなぎ合わせた物語のなかで生きることは否定されるべきことではない、という論調にはたしかな説得力があって、同時にこれまでいかに自分自身で作り上げた「物語」に執着してきたかというあまり考えたくないところに辿り着いた。こうして出来事を順序立ててテキストに起こしていく作業そのものが、見たくない現実から目を背けるためなのかもしれない。書かれたことに対して書かれなかったことはあまりに多い。
 都合のよいエピソードだけを覚えているから全てに意味があるように思えてしまって、夏の間に撮った写真をまとめて並べてみると、なるほど何かを語っているようには見えない。いかにも意味がありそうな写真を見るとなんとなく嫌な気分になるし、ある写真家の方が講演で「撮影は対象の遺品化であり、遺品から名前を抹消するのが写真」という話をしていて、反対に文章を書くことは出来事に名前をつけていくことに似ているかもしれない。仕事をしたり酒を飲んだり寝たり起きたりしているうちに見境もなく続いていってしまう毎日もテキストに残すとそこに何かの意味があるように思えてくる。それはたぶんおれ自身がそうあってほしいと願っているからだ。

 

 ベランダの花は枯れてしまった。水をあげなかったから花が枯れた、というのは単純すぎる話だが、おれの何らかの能力の欠陥を物語るエピソードではある。「パンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」という誰かの言葉になぞらえて一人で悦に浸ったりもしたが、結果的にバラは生活から失われ(ハイビスカスだけど)、今はキッチンにかろうじてパンだけが残っている。結局、咲いている姿を見たのは一日だけだった。ちゃんと水をあげておけばよかった。派手な色の花が咲いたその一日だけ写真を撮っていて、それは文字通り遺品になってしまった。
 友人たちとビールを数杯飲んで中野サンモールの中華料理屋から出ると少し肌寒く、Tシャツで過ごすにはもう限界かもしれない。せっかくタコシェ山本直樹のちょっとエロいイラストがプリントされたTシャツを買ったのに、一度も着る機会がなさそう。中野から30分ほど歩いて家に帰り、久々に『世界最後の日々』を読んだ。何度読み返しても退屈で素敵な漫画だ。


 近所の銭湯にはエントランスに男女共同の広い休憩スペースがあって、そこで風呂上がりに携帯を弄っていると、知らないおばあさんに突然シャツの袖を引っ張られ、「あんたまだそこにいるの?」と訊かれた。状況がまったくわからないまま「はい」と答えると、「私はもう帰りたいんだからね、早くしてね」とハッキリした口調で叱られた。おそらく認知症なのかもしれない、おれの顔を見て『ヤスヒロ』と呼んだ。あまりにハキハキとしゃべるので、なかなか「違います」とも言い出せず、そのうち彼女は怒った様子で「帰るよ」とつぶやいて下駄箱の方へ向かって行った。息子か孫かはわからないが、ヤスヒロはよっぽどおれに似ていたのだろうか。どうすればいいのかわからなかった。銭湯の休憩スペースから立とうとしないおれに、おばあさんは何度か『ヤスヒロ』と呼びかけた。出口の扉を開ける小さな背中が悲しかったが、おれはヤスヒロではないので一緒に帰ってあげることはできない。