2016年12月31日

1.
都内に引っ越そうと思った。ここ1ヶ月は毎週のように中野や下北沢の不動産屋を訪ねては「とにかく安いとこで、5万円くらいで」と相談しているのだけど、紹介されるのはだいたいウサギ小屋のような物件で、それなりに覚悟はしていたがまだ少し躊躇ってしまう。風呂はあったほうがいい。二週間前に内見に行った下北沢駅徒歩8分の物件は、おそろしく陽当たりの悪い6畳のワンルームだった。背伸びをすれば容易に手がとどくほど天井が低い。畳は色褪せていて、黒ずみの目立つ洗面台はところどころひび割れている。前はどんな人が住んでいたんですか、とプロレスラーのような風体の不動産屋に尋ねると「真面目そうな大学生の女の子でしたよ」と意外な答えが返ってきた。狭いリビングの窓を開けると背後で勝手に玄関のドアが開き、レスラーが慌てて鍵を閉める。ここでどんな暮らしをしていたのだろう。わざわざ下北沢のこんなアパートに住むのだから、芝居か音楽か俺と同じく吉本ばななの小説『もしもし下北沢』を愛する人だったのかもしれない。就職を間近に控えた3月、この部屋を引き払う日に、学生時代の日々を振り返って少し感傷的な気分に浸ったりしたのだろうか。およそ健康な生活を送っていたとは想像し難いほど部屋は薄暗く、レスラーが一歩踏み出すたびに床が不気味な音を立てていたが、なんとなく自分にも馴染むような気がした。ここ良いですね、ここにしようかな、と言うとすぐに「古い物件ですけど、駅から近いんで、すぐ決まっちゃうかもしれませんよ」とお決まりのフレーズを返された。嘘つくなよ、と思ったが翌週には本当になくなっていた。

2.
主に若い男女が曖昧にイチャイチャする邦画ばかりをTSUTAYAで借りてはストロングゼロを片手にぼんやりと眺めるばかりの一年で、とうとう『ズートピア』も『シン・ゴジラ』も『この世界の片隅に』も観ないまま年末を迎えてしまった(『君の名は。』は観た)。昨年と同じく決して多くはない2016年の映画体験のなかからベストを絞り出すとすれば、最も印象深かったのが4月に横浜のジャック&ベティで観た濱口竜介監督の『ハッピーアワー』。毎日を平坦に過ごしているだけで身体に溜まっていく澱のようなものが、曖昧な合意のもとに成り立つ人間関係を内側から崩していく。四人の女優陣が素晴らしい。逃避行の先に幸せが待っているとは思えないが、それでもしがらみを断ち切ることができるのが人間の強さなのだろうか?私のふたつ隣の座席には片桐はいり(本物)が座っていた。5時間を超える長編の余韻に浸りつつ、映画館を出てiPhoneを開くと、卒業式の二日後に面接を受けた編集プロダクションから採用のメールが入っていた。嬉しかった反面、桜木町の駅へ向かう道すがら「ついに俺も働くのか」と少しセンチメンタルな気分にもなった。卒業後、短いモラトリアムの終わりにふさわしい一日だったと思う。今、俺は働いています。元気にやっています。

3.
初めての台北旅行で、侯孝賢監督がオーナーを務める映画館を訪ねた。カフェやショップが併設された記念館のような施設で、いくつか映画に関する書籍とポスターを購入した。地下鉄で大学生らしき若者二人に「どこに行ってきたんだ?」と英語で声を掛けられる。「映画館」と答えたら、「俺は日本の映画が好きだ」と言われた。北野武が好きなのだそう。少し酔っ払っている様子で、楽しげに台北のおすすめスポットを教えてくれたが、残念なことに俺の英語力では何を言っているのか半分も理解できなかった。ちょうどその頃、台北シネコンでは岩井俊二の『リップヴァンウィンクルの花嫁』と黒沢清の『岸辺の旅』が大々的にプロモーションを展開していた。日本に戻ってしばらくして『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観た。あまりの冗長さに途中で飽きてしまったが、中村ゆり紀里谷和明の結婚式のシーンだけが少し面白かった。中村ゆりは不幸な役柄が本当によく似合う。素敵な女優さんだ。岩井俊二の映画はとても好きだった。くだらないバラエティ番組なんか出ないでくれよ。『岸辺の旅』はラストの場面、深津絵里の「一緒に帰ろうよ」がクリティカルヒット。一応最後まで真剣に観たはずなのだが、内容はあまり覚えていない。

4.
今年は展示を2回。ありがとうございました。那珂湊での展示以降、少しずつ手法を変えながら制作を進めている。慎重にならなくてはいけないと思いつつも、技量が足りていないと感じることが年々増えてきた。実践という意味ではこの1年ですこしだけ前進したかもしれないと思うが、明らかにインプットの量は減っている。滞在制作を終えてしばらくして、志賀理江子の『螺旋海岸note book』を読んだ。見知らぬ場所で慎重になりすぎたところ、踏み込みすぎてしまったところについて改めて考える。何度か足を滑らせたことがあった。地元の方々に救われたと思う。最近、ふと思い立ってソフィ・カルの『本当の話』を読んで、写真家とテキストの関係について考えている。考えながら撮り続けるしかないし、書くしかない。よかった展覧会。「長島有里枝 家庭について/about home」(MAHO KUBOTA GALLERY)、「ライアン・マッギンレー BODY LOUD!」(東京オペラシティアートギャラリー)、「BODY/PLAY/POLITICS」(横浜美術館)「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」(埼玉県立近代美術館)、「トーマス・ルフ展」(東京国立近代美術館)、「記憶の円環 榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現」(水戸芸術館)、「アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち」(東京都写真美術館)。

5.
近藤聡乃『A子さんの恋人』3巻、ジェンガで勝ったあとの「ロールキャベツが食べたいな」のコマが泣けました。そう言えばジェンガで遊んだことないな、せっかく4大通ってたのに。2週間ほど前、久々に明大前の駅で降りた。サークルの仲間と夜中まで居酒屋で語り合ったり同級生の女の子と恋に落ちたりした学生時代の美しい思い出が一瞬フラッシュバックしたが、あれは最近読んだ漫画の記憶だったのかもしれない。ルールを覚えられなかった麻雀とパチスロ、寡黙な教授とマンツーマンだったフランス語の再履修、2chももいろクローバースレ、ドトールのまずいコーヒーとメンソールの煙草の味が明大前で過ごした2年間の素敵な思い出。そういえば『イエスタデイをうたって』が終わったのも今年だ。四谷の交差点を通りかかり、何年か前にライターの松本亀吉氏がサンミュージックのビルから飛び降りたアイドルのことをよく書いていたことを思い出した。いくつかバックナンバーを漁ったが該当するものがなかったので、Amazonで亀吉氏の著作『歌姫2001』を購入。音楽論は理解できないが、テキストのドライヴ感が凄い。QJの「東名高速溺死坂インター」はいつも素晴らしい文章だった。

6.
毎朝少し早めに起きて近所のカフェでMacbookを立ち上げ、何かを書こうとするが1行も書けないまま職場に向かっている。こうして非生産的なテキストを書いているときだけはやたらと筆が進む。ここ数年の経験から何か信念めいたもの?を持ったような気もするが、思い出して書き残そうすると記憶は断片的なものばかりで、1週間、1ヶ月、1年と暦の上の区切りもぼやけてしまう。本当にあったことなのか、誰と会話をしたのか、もしかしたら都合よく編集したエピソードだけを覚えているのかもしれない。9月に25歳になった。5日前に初めて11月のカレンダーをめくり、指紋で汚れたディスプレイを拭うと目の前には作りかけの灰色の壁のような画像データ。デスクトップ上にファイルが散乱している。昨晩、大学時代の親友の無職と2年ぶりに再会し、極寒の池袋西口公園でワンカップを飲んだ。相変わらずしんどそうな人生を送っている。また映画を撮りたい、と言っていたが機材も金も携帯電話も持っていなかった。「とりあえず携帯は持っておいたほうがいい」と珍しく真剣なアドバイスを送った。夜中に吐いたばかりの胃にとりあえず何か流し込もうと台所で湯を沸かして袋ラーメンを啜り、もう一度眠るつもりだったがすっかり目が冴えてしまった。皆様が愛に溢れる2017年を迎えられますよう。おはようございます、よいお年を。