2017年5月2日

すぐに日常へ還元できる価値観だけを求めていればあらゆるカルチャーをスピーディに咀嚼することができてしまうので、たとえばホワイトキューブの中で立ち止まって写真をじっと眺めるような経験は、そういう咀嚼の仕方とはまるで違うものになる。画面から記号やメッセージを読み取ろうとするたびにこちらの解釈をすり抜けていくような、途方に暮れる体験。新宿のニコンサロンで、3月に木村伊兵衛賞を受賞した原美樹子さんの展示を観た。ほとんどビューファインダーを覗かず撮影しているという、奇妙な構図のスナップ。美しく刺激的な画面に思わず足が止まる。視界の中心に対象を据えて、あるいはどこかに中心点を置いて注視することに慣れてしまった自分にとって、それは普段の意識の外側にある世界だったのかもしれない。視点が重力から解放されて街中を浮遊しているような、でも確かに見たことのある、記憶の端っこの方にあるデジャヴ。

2月末、渋谷区笹塚に転居。仕事をはじめてから手元に残しておいた貯金で、6畳のアパートを借りた。陽当たりがよく、住宅街の真ん中にしては窓からの眺めがいい。家賃6万円。毎月これだけの金があれば、東京に居座り続けることができる。本当にそれに意味があるのかはともかく、最低限の生活のラインを意識しておけば、将来に過剰な期待を抱かずに済む。毎月の6万円が自分にとって切実な金額で、今はこの部屋があればいい。行こうと思えば20分で新宿に映画を観に行けて、商店街で美味しい焼き鳥が買えて、角部屋のベランダは夜中に煙草が吸える。これからの答え合わせはしない、足りないものはいくらでもあるけど、どうにかなると思い込んでやり過ごしたい。アパートから少し離れたコインランドリーで洗濯をするようになって、道端に靴下が片っぽだけ落ちている理由を初めて知った。乾いた洗濯物をカゴに詰め込んで部屋に戻るまでに、少しずつ服が減っている気がする。中野通り沿いの道で擦り切れたトランクスを見かけたら、どうか優しく拾い上げてほしい。ベランダの下で、近所に住むおばあさん同士が「最近見ないから倒れちゃったのかと思ったよ」「こっちこそ、心配してたのよ」と生存を確かめ合っていた。下の部屋の住人は孤独死だったらしい。

椎名林檎トータス松本が圧巻のデュエットを披露した「GINZA SIX」のプロモーションヴィデオについて、友人の榎くんが「忌野清志郎が亡くなった後、トータス松本がポップスターのアイコンとしての役割を意識的に演じるようになった」という話をしていて興味深かった。そういえば今日が命日だ。これでもかというくらい華々しく銀座のグローバル化をアピールした演出には辟易したが、大きな資本からド派手な作品が生み出される流れはたぶんオリンピックまで変わらないだろう。幸か不幸かその狂乱がもたらす経済効果のおこぼれにもあずかれそうにないので、5年後もおそらく今と同じようにその一日をとりあえず書き残して、地道に制作を続けている(はず)。2020年までに東京を離れて暮らしたいとぼんやり思っている。渋滞した夜の高速道路を映した『ラ・ラ・ランド』のラストシーンがかつて希望に満ちていた時代を振り返っていたように、オリンピックの夢から醒めた東京で、再開発された臨海副都心、GINZA SIX、新国立競技場の風景を哀愁とともに振り返る日が必ず来る。何も残らなかった街にかつての狂乱を重ね合わせて。初台あたりのライブ・バーで20 年後の椎名林檎が「目抜き通り」を歌う光景は、それはそれでロマンチックだろうけど。

大学時代の親友の無職がついに就職するというので、経緯はよくわからないがひとまずピザを食べて祝福した。胡散臭いスーツに身を包んだ彼に職種を尋ねると「ITコンサルみたいな?」と答えてくれた。完全に他人事なので「半年くらいで辞めた方が面白いよ」とアドバイスを送った。書きかけの映画は完成するのだろうか。

日記はあまり感傷的なものになってはいけない。振り返って美しい記憶も、できれば少ない方がいい。小学校2年生から15年近くを東京と埼玉の県境の小さなベッドタウンで過ごして、そこには友達や家族との少なくない思い出もあるのだけど、最後まで自分の育った街に愛着を持つことができなかった。中学生の時はとにかく地元から離れた遠くの高校に行きたかったし、高校生になったらほとんどの時間をさいたま市の学校の周辺で過ごして、大学の4年間も日中に家にいることはほとんどなくて、ずっと「いつかは出る」と思い続けて、やっと地元を離れた。ずいぶんと長い時間がかかってしまった。やがて今住んでいる町にも飽きてしまって、またどこか別の町へ行きたくなる。本当は別にどこに住んだって変わらないだろうし、そんなに地元が嫌いなわけでもなかったのかもしれない。それでも屈託なく地元を愛することはできないだろう。毎週のように火災報知器が鳴り窓ガラスが割られた母校の中学、同級生が万引きを繰り返していた駅前のイトーヨーカドー、不審人物の目撃情報が絶えない駅から家までの帰り道、出身地とアイデンティティが結びつかないことにどこか引け目を感じることもあった。これから気に入った場所を故郷にする。

2013年の夏、大学院入試の勉強と並行してなんとなく受けたWeb系の広告代理店の最終面接で「この仕事に向いてると思う?」と聞かれた私は「正直よくわかりません」と喉まで出かかった言葉を飲み込んで「向いてると思います!」と元気よく答える。1週間後に内定通知書が届き、翌年の春に大学を卒業して入社の日を迎え、激務に追われながら1年目を終える。2年目になると後輩ができて、同期が開いた飲み会で知り合った女性と付き合いはじめる。3年目に地方の事業所へ異動。横文字の長い肩書きを貰う。新しい土地での生活にも慣れはじめた頃、遠距離になった彼女と別れる。気晴らしにバイクを買う。大きなテレビを買う。そして2017年の春、社会人4年目を迎える。GWは北海道へ旅行に行く。大学院に進めばよかったと後悔したのも最初のうちだけで、初めは憂鬱だった仕事も今はそこまで嫌じゃない。そこそこの収入があって、生活にも満足している。これでよかった。選択は間違っていなかった―――というのが新宿のTOHOシネマで『ラ・ラ・ランド』を3回観たあとに考えた妄想でした。時代の最先端を行く広告マンにはならず(なれず)、学生時代とさして変わらず曖昧に暮らし続けている現実の私は先週の月曜日に社会人2年目を迎えた。先のことは全く見えないがとりあえず今は楽しい。
 

ブラッサイプルースト/写真」。写真を交換する文化についての考察?半分くらいまで読んだがあまりよく理解できていない。他人のプライベートな写真にはやはり興味があるので、俺も誰かと交換してみたい。ロバート・ヘンライ「THE ART SPIRIT」つい感化されそうで危なかったが、終始「芸術は素晴らしい、なぜならそれが芸術だから」と表現行為を無条件に肯定しにかかるような文体で、あまり参照すべき本ではなかった。やたらと若者を励ましてくれるのでなんとなく元気は出た。

今年ももうすぐ半分近くまでさしかかったところだが、今のところとりたてて書くほどの活動はなし。年始から仕事と引っ越しにずいぶんとエネルギーを使った。KYOTO GRAPHIEはなんとしてでも行きたい。面白そうなイベントの話が立ち上がったのでたぶん年度内にやります。

すべての恋人が幸福に満ちた休日を過ごせますよう。笹塚より愛を込めて。