2019年8月17日

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 アパートの前のコンクリート打ち水の跡が残っている。路地の曲がり角でセミがひっくり返って死んでいた。

 日曜の昼、34℃。商店街の外れの定食屋でとんかつ定食を注文すると、厨房の中から「20分くらいかかるけど大丈夫ですか?」とぶっきらぼうな声が飛んでくる。古い畳の座敷にあぐらをかいて、レトロな店内に不似合いな薄型の液晶テレビを眺めていた。NHKの12時のニュースが終わり、画面が高校野球の中継に切り替わった。大阪代表の履正社が大量得点でリードしている。バッターの表情がアップで映し出され、アナウンサーが地方大会の成績を淡々と伝える。

 麦茶が注がれたガラスのコップに水滴がついて、指でなぞるとテーブルの上に小さな水たまりができる。厨房に設置されたクーラーの冷気は座敷まで届かない。背中に汗が滲んでくる。

 

 注文からちょうど20分後経ったころににおばあさんがとんかつ定食を運んできて、ぬるくなったおしぼりで水を拭き取った。テーブルの上に小鉢を並べながら、おばあさんが「この席、暑いでしょう」と言った。一昨日の昼にもとんかつを食べたことを思い出した。今日は仕事が休みだから、あまり腹が減っていない。笹塚で50年以上続いているというこの店のメニューはどれも格段においしいというわけではなく、値段も高くはないが激安でもない。店の居心地がいいので何度か通っていた。とんかつの端にソースを少しだけ垂らして、最初のひときれを食べる。

 

履正社は強いねえ。やっぱり体格が違うね」

 店主のおじいさんが流し台で皿を洗いながら、入り口近くのテーブル席に座った男性に話しかけていた。赤いTシャツを着た常連らしきその男性はキリンの瓶ビールをグラスで飲みながらテレビを見ている。30代にも見えるし、50代のようにも見える。太った体に大粒の汗をかいている。

「でも大阪桐蔭が出た方が強いんじゃないの?」

 テレビの方に体を向けたまま赤いTシャツの男性が訊くと、店主はわかってないなあ、という顔をして答えた。

「今年の大阪桐蔭は予選で負けたんだよ。去年は強かったけどね、4人もプロに行ったんだから」

 ふたりはしばらくテレビを見ながらしゃべり続けた。店内には、おれを含めて客が4人。奥のテーブルには水色の作業服を着た若者がふたり。

 ふと赤Tシャツの男性の足元に目をやると、ふくらはぎに包帯が巻かれていた。汗をかいているせいなのか、それとも巻いてからかなり時間が経っているせいなのか、包帯は茶色く変色していた。

「足の調子はどうだい」

さっきまでの半分くらいのボリュームの声で、店主が尋ねる。

「まだまだだね。今日なんかは人が多いから歩くのも大変だよ。医者に聞いても治るかわからないって言うしさ」

 

 

 

 

 夜、高田馬場駅で電車を待っていると、足元にプリクラが一枚だけ落ちていることに気づいた。2センチほどの印画紙に、高校生らしい男女4人の顔が映っている。拾い上げて眺めてみると、ひとりの女子は撮影を拒むように指先で口元を隠していた。笑顔になにかコンプレックスがあるのかもしれない。

 ほかの3人はそれぞれおちゃらけた表情を浮かべている。プリクラの色はまだ鮮明で、落としてからそれほど時間は経っていないようだった。財布や定期入れにしまっていたものを、何かのタイミングで落としたのかもしれない。あまり見られたくないものだろうなと思いつつ、まじまじと見てしまう。口元を隠しているのではなく、笑いをこらえきれずに手で口を覆っているようにも見えた。

 

 

 3年前に住み始めたころに比べると部屋は少しずつ様変わりしていて、ニトリで買ったペラペラのソファベッドはIKEAの二人掛けのソファに代わり、本棚の隙間に会社の先輩から譲り受けたテレビが設置され、小さなダイニングテーブルの上には高円寺のむげん堂で購入したエスニック柄の布が敷かれた。

 家具の一つひとつに3年ぶんの記憶がこびりついていて、ときおり息苦しさを感じる。自分の体を引き剝がしたくなる。引き戸の裏や作業机の下などの見えないスペースが散らかっていて、家主の脳内がそのまま映し出されているようだ。理由はわからないがアパートの供給電力の上限が低く、明るい電球が設置できないので夜はいつも薄暗い。バルサンを焚いてブラックキャップを部屋中に置いたおかげで、部屋でゴキブリを見ることはなくなった。

 

 2週間ほど前に観た五反田団の演劇『偉大なる生活の冒険』に、「バルサンを焚いたら隣の部屋にゴキブリが逃げる」というセリフがあった。もし本当なら隣の部屋の住人には申し訳ないことをしたな、と思った。隣には母親と同じくらいの年齢の女性がひとりで住んでいて、たまにあいさつを交わす程度。ふたつ隣には大学生が住んでいたが、最初にあいさつしてから3年間ほとんど見かけることがなく、先週どこかへ引っ越していった。

 『偉大なる生活の冒険』はまさに“生活”の物語だった。床に散らかった漫画を読む、布団のなかでケータイをいじる、カニ缶にマヨネーズをかける、それらの描写すべてにアクチュアリティが宿っていた。五反田団の主宰でもある前田司郎はふてくされた男性の特徴をつかんでいて、10年後のおれがあんな感じになっていてもまったく驚かない。

 ふわふわと宙に浮いた物語はどこにも到達しないまま幕を閉じた。その曖昧さを含めて“生活”だ。ゴールもなく日常は続くし(なんかミスチルの歌詞であった気がする)どん詰まりでも「そうやって生きていこうよ」と自分の現在を肯定するしかない。かつてカメラマン志望だったという主人公が「今はみんなデジタルだからなあ」と愚痴っていたのが妙におもしろくて笑ってしまった。

 

 先週、定期的にもらっている雑誌の仕事が無事に校了を迎えた。4月からちょこちょこと関わっているが、いつも校了前の1週間くらいは「本当に完成するのか?」とかなり不安になる。まだ原稿を書いてすらいないタイミングでAmazonの予約がスタートするので心臓に悪い。

 校了日の翌日に友人と由比ヶ浜へ行った。海で泳ぐわけではなかったが、なんとなく夏っぽいことがしたいと思い、鎌倉の駅で15時に待ち合わせた。海につくころには暑さは和らいでいた。平日だったので、ビーチもおそらく普段よりは人も少なかったと思う。海の家では黒々と日焼けしたマッチョな若者たちがナンパに勤しんでいた。女性がひとりで座っているテーブルの向かいに座り、テンションの高い身振りで話しかけている。とても動物的で、生々しい光景だった。普段から鍛えている体つきだったので「たぶん消防士か警察官だ」と言うと「すごい偏見じゃない?」と言われた。 

 波打ち際で中年の男性がひとりで佇んでいる。海の方をぼんやりと眺め、ときおり自分の手のひらを見つめている。海と自分の手を交互に見比べながら、やがて中年男性は去っていった。手のひらに何か書いていたのだろうか。

 ペアルックのシャツを着た若いカップルが目の前で立ち止まり、激しく抱き合う。その横を大学生のグループがチラチラと覗きながら通りすぎていく。カップルは彼らを気にもとめずに体を寄せ合って会話を楽しんでいた。海にはどんな人間がいてもなんとなく許されているような気がした。だから来たくなったのかもしれない。伸びっぱなしの髪を後ろで結んでサングラスをかけているおれの姿も、由比ヶ浜の浮かれた光景に馴染んでいたはずだ。

 

 

 

 日曜の夕方、新宿の紀伊国屋で知り合いの写真家に遭遇する。今年の3月に滞在先の中国から帰国したらしい。中国語が難しくて生活するので精一杯、ぜんぜん作品は撮れなかった、と苦笑いしながら彼は言った。ひととおり中国で見た展示の話や帰国してからの制作活動の話を聞いて、駅前の喫煙所でタバコを吸って別れた。

 たぶん彼はおれより10歳くらい上で、学生の頃に横浜のBankARTで知り合って仲良くなった。中判のフィルムで地層や岸壁の写真を撮っていて、映画にも詳しかったので、学生時代に論文の相談に乗ってもらったこともあった。

 帰り際、「そういえばブログたまに読んでるよ、おもしろいけどさ、作品の批評とかもっと書けよ」と言われた。そろそろ自分の文章をしっかり書かなきゃなあと思っていたので胸に刺さった。

 

 ここ数年で社会に少しずつ興味を持つようになった。非常にスローペースだが勉強を続けている。顔も知らない他者の暮らしを想像して、自分の目に映った範囲のことはテキストに残して。