2015年の横浜ラプソディ

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 大学院生の頃、半年ほど横浜のシェアハウスに住んでいた。

 港の見える丘公園のすぐ近くの、ベッドルームが3つと共用リビングと風呂がある大きな庭付きの一軒家だった。2階に住んでいるオーナーの男性は横浜のサンバチームの代表で、色黒で屈強な体つきのバイク乗り。奥さんは地元のライブハウスやBarで歌っているシンガーソングライター。フロアが別れていたのでたまに会う程度だったけれど、オーナー夫妻は顔を合わせるたびに「ハ〜イ、ダイキ!」とハイタッチをしてくるラテン系なノリの人たちだった。朝は2階から聴こえるアコースティックギターの音で目が覚めた。

 なぜシェアハウスに住んでいたのかというと、当時横浜の馬車道にあった「BankART studio」というスタジオのアーティスト・イン・レジデンスに参加することになったからだ。おれは毎日、図書館で横浜近辺の団地やニュータウンの資料を集めたり、老朽化した団地を訪れて取材と撮影をしていた。アーティストというよりは研究の一環に近かったが、プログラムの成果発表としてそこそこ大規模な展示があるので、それに向けて集中的に制作を行う必要があった。それでスタジオの近くに住んだほうが何かと便利だろうと思い、奨学金と日雇いのバイト代で横浜のシェアハウスに移り住んだのだった。家賃と光熱費込みで月5万円という、貧乏学生にはうれしい好条件も決め手だった。

 

 庭にはたくさんの雑草や花が生い茂っていた。毎日、いろんな種類の虫に体じゅうを刺されながらそこでタバコを吸った。たまにオーナーも庭に降りてきて、一緒にタバコを吸った。

 午前中はシェアハウスのある山から自転車で取材に出かけて、午後からはスタジオでプリント作業をする。旧日本郵船の倉庫を改装したBankARTの巨大なスタジオには特に仕切りもなく、おれと同じような大学院生や美大生、専門学生、アルバイトをしながら作品制作をしているアーティスト、映像作家、研究者などの若手40人程度が2フロアをシェアしていた。

 スタジオ通いの日々で最初に仲良くなったのは濱中さんというおじさんで、彼はリトグラフ作家だった。おそらく40歳くらいで、20年以上も清掃員の仕事をしながらひとりで版画のアニメーションを制作していた。

 たまに彼の作業スペースに顔を出して「濱中さん、調子どうですか?」と聞くと、いつも「終わる気がしないねえ」と淡々とした口調で返事をしてくれる。セル画の一枚一枚をカラーで丁寧に描き込んでいたのでものすごい熱量を感じる作品だったが、3か月後の成果発表展までに完成するとは思えなかった。それでも、濱中さんの作品制作への意欲にはとても感銘を受けた。

 濱中さんはいつもマイペースに作業を進めていた。おれが作業に飽きて話しかけにいくと、なぜかいつもラングドシャルマンドをくれた。

 

 展示に向けた制作や研究などの準備が山ほどあるとはいえ、おれはかなり呑気な日々を送っていた。当時は修士課程の2年生だったが、単位もほとんど取り終えていて、中野にあるキャンパスに通うのは週に1度のゼミだけだった。土日はシェアハウスの大きな液晶テレビでDVDを観たり、野毛山動物園を散歩したり、夜の山下公園で熟年カップルを眺めたりしていた。たまにスタジオの同世代のメンバーと関内の中華料理屋で酒を飲んだ。

 スタジオからの帰り道、横浜スタジアムの外に設置されたモニターでベイスターズの試合を応援した。その年のベイスターズは10数年ぶりに前半戦を首位で折り返し、球場の外でタダで試合を見ているおじさんたちも毎日のように盛り上がっていた(その後、歴史的な失速で最下位に沈むのだが)。

 

 基本的に修士課程の院生がやるべきはただひとつ「修士論文を書き上げること」だけなので(博士課程進学をめざす学生は学会発表の機会も多いので一概には言えないのだけれど)、もちろん横浜でも研究はコツコツと進めていたけれど、それでも余りあるくらいの時間と精神的な余裕があった。

 順調にいけば、翌年の春には長い学生生活が終わる予定だった。今考えるとおそろしいのだけど、当時おれはいっさい就職活動をしていなかった。横浜でおれがモラトリアムを満喫していたころ、隣の研究室の同期たちは企業の選考の真っ只中だった。博士課程に進学するつもりもなかったので、研究室の指導教官がわざわざ横浜まで来て「卒業したらどうするんだ」と心配してくれた。「夏ごろに実家に戻るので、それから就活します」と答えた。本当は就活する気はまったくなくて、なんとかなるだろう、と思っていた。新卒での就職は半ば諦めていたので、卒業したら地元の居酒屋でアルバイトをしながら文章を書いたり写真を撮ったりしようと思っていた。

 

 シェアハウスにはおれのほかにもう一人、もう名前は忘れてしまったが、ロードバイクで日本一周に挑戦しているという男が住んでいた。彼はロードレーサーが着るような、全身にカラフルなロゴマークが入ったユニフォームを毎日着用していた。それしか服を持っていなかったんだと思う。リビングで顔をあわせるたびに「服、ピッチピチやん」と思った。

 同じ家のなかで過ごしているのだから何かしらコミュニケーションが生まれるものだろう、と思っていたが、生活リズムの違いもあって最後まで自転車野郎とまともに会話を交わすことはなかった。だから「服、ピッチピチやん」という印象しか残っていない。一度だけ、リビングの机に置きっぱなしにしていたホンマタカシの『TOKYO SUBURBIA』を指差して「それ、おもろいな。俺の地元もそんな感じの街やったわ」と言われた。「そうなんすよ。ホンマタカシっていう写真家の本で、ここに写ってるのは多摩ニュータウンなんですけど……」と丁寧に説明したが、話の途中で興味を失った様子だった。

 

 シェアハウスのオーナーは、たまに元町通りの焼き鳥屋に連れていってくれた。6月の台風の日の夜、焼き鳥屋に一緒に向かっていたオーナーは、傘を持たずにずぶ濡れになって歩いていた。奥さんにこっそり「なんで傘ささないんですか?」と聞くと「この人、『ヨーロッパでは誰も傘なんて持ってない』って言って一回もさしたことないのよ」と教えてくれた。焼き鳥屋の店員さんは、海から這い出てきたようなずぶ濡れのおじさんを見てギョッとしていた。

 

 いつも目のやり場に困るほどセクシーな格好をした奥さんは、たまにパンを差し入れてくれた。黄金町に、天然酵母のおいしいパン屋があるのだという。「週に1回、2階でヨガ教室を開いてるの。ダイキも一緒にどう?」と誘ってくれた。少し興味はあったが、一度ちらっと覗いたら参加者が全員セクシーな女性だったのでそこに入る勇気は出なかった。

 

 シェアハウスに住んで3ヶ月が過ぎたころには「ここでバイトしながら横浜に住み続けるのもいいか」と考えるようになっていた。自転車野郎はそのうち出て行くだろうけど、部屋が空いたらまた誰か違う人が来る。たくさんの人が出たり入ったりするシェアハウスで、いろんな人と交流しながら暮らすのもそれはそれで悪くない。そしてなにより、埼玉のベッドタウンのつまらない街で育ったおれにとって、横浜は「海がある」というだけでもとても魅力的な場所だった。

 オーナーはことあるごとに「横浜が好きになったかい?」と聞いてきた。おれはそのたびに「好きになりました」と笑顔で答えていたが、あるとき焼き鳥屋で「このまま横浜に住みたいんですよね」と言ってみた。オーナーも喜ぶかと思ったが、そのときばかりは真顔で「一回は東京でがんばってみたほうがいい」と言われた。「東京のほうがいろんなチャンスがある。東京の仕事が合わなかったら、横浜に戻ってくればいいさ」とオーナーは優しい口調で言った。

 横浜は別に地元ではないけれど「戻ってくればいい」と言われたことがうれしかった。

 

 オーナーはもともとレコード会社でA&Rの仕事をしていたらしい。「〇〇ってバンドな、俺がデビューさせたんだよ」と自慢げに教えてくれたが、おれはそのバンドを知らなかった。

 

 6月の展示を終えて、アーティスト・イン・レジデンスのプログラムは終了した。スタジオのメンバーの多くは今も作品を作り続けているので、SNSで近況をチェックしたり、展示があれば足を運んでいる。おれは彼らのようにはなれなかった。結局、最後まで作品が完成しなかった濱中さんはその後、専門学校の版画講師になったと聞いた。BankARTのスタジオは、2018年に旧日本郵船倉庫から移転してしまった。

 

 プログラムが終わってからも、しばらく横浜に住んでいた。そのころ修士論文で台湾のニューシネマについて調べていて、たまたま横浜市の中央図書館に台湾映画のVHSが大量に残っていたのだ。赤レンガ倉庫のイベントやビアガーデンで短期バイトをして生活費を稼ぎつつ、図書館に所蔵してあるVHSを片っ端から視聴して、自習スペースで論文を書いた。

 そして大学が夏休みを迎えたころ、いよいよ研究室にこもって論文を書かないと間に合わない、というタイミングで、おれはシェアハウスを出て実家に戻った。

 

 最後の日に、SF小説を書いているというヒッピー風ファッションのヒゲ男が隣の部屋に入居してきた。めちゃくちゃ臭かった。自転車野郎といいヤバいやつしか入ってこないなと思ったが、外の世界から見れば就職活動もせず怠惰な日々を送っている無職予備軍の大学院生も同じようなものだと思った。

 

午前3時、中野車庫にて

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 ゴールデンウィークの直前に依頼されていた仕事をようやく片付けてベランダで煙草を吸っていると、大通りのほうから男女が言い争う声が聞こえてきた。深夜2時。わざわ痴話喧嘩を見に行くつもりはなかったけれど、連休中は昼過ぎまで寝ていたせいで今から布団に入っても朝まで眠れないだろうと思ってサンダルを履いて外へ出た。

 上はショッキングピンクadidasのパーカー、下は旅先で買った迷彩柄の短パン(ダサい)。ずっと家にいたせいで3日ほど同じスウェットしか着ていなかったから、少し派手な服を選んだ。

 しばらく歩くと目線の先に高速道路の明かりが見える。カップルの喧嘩はもう終わっていた。セブンイレブンで買った安いイヤホンでandymoriの「Sunrise&Sunset」を聴いている。andymoriファンの知人と飲んだとき、小山田壮平への思い入れを語る彼女の熱量があまりに高かったので久々に聴いてみた。真夜中の路上を歩くには少しテンションが高すぎるかもしれない。このあたりで唯一、深夜まで営業していた中華料理店の前には休業中の貼り紙が掲げられている。

  中野通りはずっと一本道だから、景色の変化がよくわかる。歩道橋を過ぎて、神田川へ向かってゆっくり坂道を下っていく。ガソリンスタンドの前の植え込みには発泡スチロールの箱があって、その中でレコード盤くらいの大きさの亀がいる。泳げるほどの広さはない。

 ファミリーマートの前の灰皿は先月にもう撤去されている。昔、テレビで見たことのあるお笑い芸人と居合わせたことがあったが最後まで名前が思い出せなかった。ミュージシャンだったかもしれない。コーラを買おうと思って、財布を忘れたことに気づいた。

 

 京王バスの車庫の前を通るといつも青山真治の『EUREKA』を思い出す。だだっ広い駐車場に停車したバスを捉えた、冒頭のロングショット。大学の映画の授業で、横長のバスの全体がスクリーンにおさまるようにワイドのレンズで撮影されているという話を聞いた(記憶違いかもしれない)。人生でトップ10に入るくらい好きな映画だ。

 勤勉な学生ではなかったが、映画の授業だけは休まずに毎回出席していた。大学2年のときには、授業の課題で仲のよかった友人と自主映画を撮った。特に企画に口を出したり脚本を書いたりするわけでもなく「ヤマモトのイメージにぴったり」という友人のひとことで、“通学路でいつも女子高生のパンチラを狙っているニートの若者”の役を演じた。講評ではあまりよい評価を得られなかったが、「あのニートの子のふてくされた演技がいいね」と教授に褒められた。決して演技ではなく、当時は常にふてくされた顔をしていたのだった。

 

 神田川で折り返して、30分ほど歩いてアパートへ戻る。深夜3時。ほとんど誰とも連絡をとっていないから、ずっと昔のことばかり思い出してしまう。不安なこともないわけではないけれど、今日はきっとよく眠れる。

 

 日に日に減っていく預金残高を眺めていると「あーあ」という気持ちになるけれど、「あーあ」と思うだけで営業活動をがんばろうとかそういう気持ちにはならない。ほとんど家に引きこもっているにもかかわらずこれだけお金がなくなるのは「これが最後になるかもしれない」と思って中野のブックファーストで手当たり次第に本や漫画を買い漁ったせいで、ネット上に存在するあらゆる動画ストリーミングサービスに加入しているせいでもあった。

 それで最近はずっと漫画を読んでいる。特におもしろかったのは『君は放課後インソムニア』。真夜中に誰かと会うのってなんであんなに特別な気持ちになるのだろう。スケボーの世界にのめりこんでいく女性たちを描いた『SKETCHY』もおもしろかった。そのほか最近買ったものは、セックスレスの夫婦をテーマにした『あなたがしてくれなくても』、『リバーエンド・カフェ』、『埼玉の女子高生ってどう思いますか?』、『水曜日のシネマ』、『まくむすび』など。すべて全巻まとめて買ったので、歩いて持ち帰るのが大変だった。

 

 昨日は江國香織の最新刊『去年の雪』を読んでいた。100人以上の登場人物が交差したりすれ違ったり、些細な風景が繊細な筆致で書き込まれている。たびたび話しているが高校生のころからずっと江國香織に心酔している。

 GW中に伊藤計劃SF小説『ハーモニー』を読み返した。すでに多くの人が指摘している通り、これから訪れる「新しい生活様式」の絶望を予測しているように思えて仕方がない。学生のころ、発売されてすぐに読んだのだけど、当時はそこにアクチュアリティを感じることができなかった。今はウェルベックの『セロトニン』を読んでいる。先週Amazonで注文した大山顕の『新写真論』が届くのを楽しみにしている。まだ届いていない。

 

 これからどんどん仕事がなくなっても、生活費はたぶん月11万円の最低ラインさえ死守しておけばとりあえず生活はできる。本は図書館で借りるしかなくなるけれど、なんとかなるだろう。おそろしく意識が低いようにも思えるが、もともとそんなものです。幸いにも今は逼迫した状況ではないが、逆に考えると最低ラインの収入がある限りひとり誰にも干渉されることなくずっと狭い部屋で生き延びることになる。最近はアルバイトをはじめることばかり考えている。アルバイトが好きだから。

ベーコンを焼いて火災警報が鳴る

 

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 テレビがずっと点いている。朝、布団を出るよりも早くリモコンのボタンを押した。目の端でチカチカ光る。毎日通っていた駅前のエクセルシオールは4月1日から全席禁煙になったのでたぶんもう行かない。

 メールボックスを開くと仕事関係の連絡のほかにイベントのお知らせが一通。起業家支援なんとかプロジェクトみたいな話だったので読まずに削除した。送り主は大学時代の知り合いで、インターンシップの帰りに一緒にクラブへ遊びに行ったことがあった。あのときは就活シーズンで、渋谷駅のコインロッカーにリクルートスーツを押し込んでダッシュでイベントへ向かった。いわゆるチャラ箱と呼ばれるようなクラブでひとしきり酒を飲んだあと同級生の男女8人で鳥貴族に行って、シロップの味がする安い酒を飲んだ。そのうちのひとりが誕生日だったのでAKBの「涙サプライズ」を合唱した。それはその場限りの空虚なハイテンションだということをその場の誰もが知っている。始発まで起きていたのはふたりだけだった。0時前に寝たやつはみんな大企業に就職した。

 

 中学生のころに通っていた塾に近藤くんという男の子がいて、彼は駅の反対側のブックオフで万引きを繰り返していた。近藤くんは水泳をやっていて体つきもたくましく、明るくて気のいい男だった。中3の途中で塾に入ったおれに最初に話しかけてくれた友達だった。模試の帰りに一緒に池袋のロサボウルで遊んだ。夜に授業が終わると、彼はブックオフに行って「BLEACH」や「FAIRY TAIL」をリュックの中に詰めていた。それを盗品だと知らないふりをして、おれは近藤くんからマンガを借りた。永井大似のイケメンで、同じ中学校の女子からもモテていたらしかった。品川の女子校に通う彼女がいて、夏休みに童貞を捨てたと自慢していた。

 今振り返れば、という話でしかないのだけど、悪いのは近藤くんではなくてあの場所だったと思う。受験が終わって塾をやめる直前に近藤くんが補導されたときもそんなに驚きはなくて、ただ単に悪い場所だからだと思った。いつも友達の誰かが補導されて、女子の誰かが妊娠した。

 3月に彼がダイエーの化粧品売り場でワックスを盗んで補導されたとき、「あんなのいつか捕まるに決まってんじゃん」と塾の友達とヒソヒソと話した。お前も近藤からマンガを借りていたくせに。おれは密かに近藤くんの連絡先をケータイから削除した。近藤くんのことは好きだったけど、彼は悪い場所からめでたく退場したのだと思うことにした。おれは家から2時間かかる遠くの高校に進学することが決まっていて、もう誰とも会わないと決めていた。家から一番遠くの高校を選んだのはおれひとりだけでもこの場所から逃げ切りたかったから。おれも彼もあのときはなにか醜いかたちをしていたと思う。

 高校生になって一度だけ、地元で自転車に乗った彼の姿を見かけて吐きそうになった。自分がなかったことにした記憶が鮮明に蘇ってくる。うしろめたさと罪悪感で目眩がした。数人の友達と一緒に、彼はおそろいの水泳部のバッグを背負って笑っていた。

 

 怒涛の進行によって雑誌の仕事が校了を迎えて、翌日は昼まで寝ていた。手持ちの仕事がこれでほぼゼロになった。先行きは楽観できないがその事実と真面目に向き合う体力も残っていない。冷蔵庫の残り物の納豆とベーコンをフライパンにぶちこんでチャーハンをつくる。3日ほど校正紙とノートパソコンと向き合っていたので体じゅうが凝り固まっている。あまりおいしくないチャーハンを胃に流し込んで、家のまわりを散歩した。人のいない公園でコーヒーを飲んでいると編集長から電話がかかってくる。さっきまでだらけきっていたのが悟られないようにパリッとした発声を心がけたが、電話の奥から聞こえる編集長の声も昨日までとは別人のように緩んでいる。校了翌日の編集者はみんな仏のように優しい。

 

 昨日までかろうじて人間のかたちをしていたが仕事がなくなった今のおれはもはや怠惰な肉の塊でしかなく、散歩から帰ってからもワイドショーを眺めつつ延々と酒を飲んでいる。平日のど真ん中だが仕事がなければパソコンに向かう必要もなく、もちろん通勤の必要もないしましてや仕事をしているふりをする必要もない。溜めている原稿がいくつかあるが、締め切りはまだ先。酒のつまみのチーズがなくなって、冷蔵庫になぜかベーコンだけが大量に余っているのでまたフライパンで炒めようとキッチンへ向かう。油を熱しすぎていたせいか、ベーコンを投入した途端にフライパンから煙が上がり、換気扇を回していなかったことに気づいた瞬間『火事です火事です』とけたたましい音を立てて火災報知器が鳴った。あわててガスコンロを止めるが、わずか一畳ほどの狭いキッチンにはすでに煙が充満している。警報の止め方がわからない。あわててブレーカーごと落とすが、大きなアラーム音は止まらなかった。ようやくスイッチを発見し、何度か拳で叩くとようやく警報は止まった。念のため窓の外に向かって「火事じゃないです!大丈夫です!」と叫ぶ。しばらく動悸がおさまらなくて最悪な気分だった。

 

 あの日クラブの帰りに、おれは来月にまた渋谷で飲む約束をしてLINEを交換した。JRの渋谷駅で始発を待っている間に雨が降って、ずぶ濡れの知らない人に傘をあげた。2015年の5月、国会前でSEALDsのデモが行われた日だった。ニュースでなんども奥田くんのスピーチが取り上げられていた。おれは地元の駅のトイレで吐いて、雨にぬれながら帰って高熱を出した。コインロッカーにスーツを預けたまま帰ってしまったことを思い出して、ふらつく足で再び渋谷に向かっている途中「おれはこれから何も成し遂げないだろうな」と強く確信した。

有馬温泉で暮らしませんか

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 2年前の夏に好きな人ができた。その時期は別れたばかりの元カノと「これで最後にしよう」と会うたびに言い合っていて、もしかしたら復縁できるかもと思っていた矢先に彼女はアルバイト先の同僚の彼氏とヨリを戻してLINEをブロックされた。あの、ワンポイントリリーフってわかります? 野球の用語で、左バッターのときだけ登板する左ピッチャーみたいな感じなんですけど、言ってる意味わかりますか? そういうアレではないでしょうか、本当のところは知りませんが、と渋谷の焼き鳥屋のカウンターでグチグチといいかげんに説明すると「私、けっこう野球詳しいんですよ」と彼女は目の前で架空のバットをスイングして、ふわっと熱気を帯びた風を頬に感じて、一瞬で恋に落ちました。

 それまでは何度か会ったこともあるけれど、ふたりで会うのははじめてだった。会うたびに化粧が少しずつ変わっているなという印象がわずかに残っているくらいで、もともとかなり視力が悪いのでハッキリと認識できていなかったけれど、はじめて近くで見るとそれはもう見惚れてしまうほど美しい顔立ちだった。皮膚が薄くてすこしまぶたが眠そうで、鼻筋がすらっと立っていて唇は薄い。惹き込まれるように顔ばかり見ていた。両手でグラスを持ってレモンサワーを飲む仕草がかわいらしい。終電を逃したサラリーマンや大学生のむさ苦しい人混みのなかで、白い肌がひときわ映える。深夜1時を回っても8月のその日は蒸し暑くて、目尻のアイラインがすこしだけ滲んでいた。子どものころのこと、家族のこと、中学時代の部活のこと、高校のときの修学旅行のこと、受験のこと、学生時代のこと、社会人になってからのこと、今の仕事のこと、すでに終電を過ぎた真夜中の時間を少しでも引き延ばそうとたくさんの質問をして、その人はすべての質問に対してひとつひとつ丁寧に答えてくれた。普段は非喫煙者と一緒にいるときはタバコを吸わない、どうしても我慢できなくなったら1本だけ、というルールを自分に課しているのだけど緊張と酔いのせいもあってひと箱吸い切ってしまった。普段はあんま吸わないんですけどちょっと緊張しててめちゃめちゃ吸っちゃいました、タバコ臭くてすみません、と言うとその人は「私も緊張してたんですけど、今は楽しいです」と笑ってくれた。おれはその時点でおそらく生ビールを10杯くらい飲んでいたけれど頭はなかなか冴えていて、彼女がなぜか「有馬温泉に行きたい」と言っていたのでおれは「一緒に行きませんか」と誘っていいかどうか検討した。おれは有馬温泉に行きたい。そして東京に帰ってきたくなかった。おれはたぶんあなたときっとうまくやっていけると思う。まだなにもあなたのことを知らないけど。おれはその気になればタウンワークで片っ端から電話かけて居酒屋でバイトできるし、イベント設営の派遣もそれなりに経験がある。あとは月に何本か原稿仕事があれば生活費の足しにはなるだろう。これから生い立ちを知って、生まれた病院のことを知って、何に怒るのかどんなときに悲しくなってしまうのかをひとつずつ知って、1年後には有馬温泉の近くで仲良く一緒に暮らしたい。「こんなに趣味の話ができるとは思ってなかった」と彼女は言った。おれはうれしかった。気づくと店内にはおれと彼女だけがぽつんと残されていて、入り口のドアの方から朝の光が差し込んでいた。店の外は蒸し暑くて、コンクリートの乾いた匂いがする。

 

 好きな人がいる、という事実はおれにとってお守りみたいなもので、仕事でなかなか結果を残せていないことも、尊大な態度のおじさんに何度も原稿をリライトさせられていることも、1か月以上も掃除をしていない風呂場にカビが生えたことも、虫歯が思ったよりも重症で手術が必要なことも、収入が減って母親にお金を借りていることも、他の女性の家に呼ばれてセックスしてしまったことも、その部屋に大事な薬のケースを置き忘れてしまったことも、すべてが大丈夫になった。おれには好きな人がいるからなんとかギリギリかろうじて生きていける。おれと一緒に有馬温泉で暮らしませんか。一回だけ会った夜の記憶があまりに鮮烈で、忘れないようになんども思い返していた。ダビングしまくったビデオテープのようにだんだん記憶にノイズがかかってきて、忘れているシーンは都合よく上書きされていく。

 

 その後もなんどか連絡を交わし、数回会ったけれど、冬になるころにはぱったりと連絡が途絶えてしまった。何度か会ううちにわかったのは、彼女はおれにあまり興味を持っていないということだった。

 

 人を好きになることってこういうことだったっけ?と思い返してみてもおれは粗雑なポルノ映画みたいな恋愛しかしてこなかったのでなにもわからない。過去に好きだった人のことも今となっては思い出せない。それから1年が経ってお守りは日に日に効力を失って、あれだけ楽しかった日の記憶も薄れて、もはや何も大丈夫ではなかった。それでもういちど会ってみようと思い立って連絡をとって、肩まで伸びた髪の毛を切って服を新調してヒゲを剃って、自分ができる限りの最大の清潔感と雰囲気イケメン感を演出した。悪くないでしょう。こういうところはおれのいちばんいいところだしいちばんゴミクズなところだと思う。結局のところ自分がいちばん大好き。

 久しぶりに会ったその人はやっぱり死ぬほど美しくて、やっぱりおれに全然興味がなさそうだった。最初に会ったときの記憶がウソなんじゃないかと思うほど会話はかみ合わなくて、おれはどんな話をすればいいのかわからなくて、それでも楽しかった。とても優しくて、とても賢い人だと知った。居酒屋を出て駅まで歩く道すがら「もっと一緒にいたいです、〇〇さんのことが好きです」と伝えた。彼女はとても困った顔をしていて、そのとき初めてまともにコミュニケーションができたかもしれないと思った。翌日に送られてきたLINEには、とても丁寧な文章で、ただハッキリと「ごめんなさい、付き合うことはできません」と書いてあった。こちらこそごめんなさい。でもおれはあなたのことを好きになってよかったです。知っていたとはいえ悲しかった。でも、最後にちゃんと正直に話ができたような気がして、おれもまた恋愛ができるかもしれない。

 

 それからおれは「好きな人がいた」という記憶をお守りにしていて、かつて好きな人がいたということは今後もまた誰かのことを好きになる可能性があるということだ。可能性という言葉は甘くて優しくて心地よい。「フラれちゃいました」と信頼のおける友人に話して、殊勝に笑い話にしてみたけど本当はちょっと落ち込んでいた。何が好きだったんだろう。顔? もう思い出せない。

 

 ただひとつだけ本当にその人を好きだったと思える記憶はあって、それはここには書かない。もうお守りにはならないけれど、この先もいつか折に触れて思い出すつもりだ。とても些細なことで、だから鮮明に覚えている。おれはこの記憶を丁寧にたたんでクローゼットの奥にしまいこんで、平然としたツラで社会を生きていくのだ。好きな人に好きになってもらえなかったということだけを受け入れる。手の届かない存在だったとかそういう話じゃなくて、その人はたしかに私と同じ地平に立っていて、同じ時間を向き合って、そのうえでハッキリと、通じ合えなかったことを知った。それはもしかしたらあったかもしれない時間や、行けるはずのなかった有馬温泉を想像することよりも、おれが今ふらふらと手探りで歩いている道を肯定してくれる。でも、本当はすごく悲しい。

正月、アイドル、石和温泉

 

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17時、池袋駅西口からラブホテル街のライブハウスへ向かう。インディーズ系アイドルの合同ライブを観に行く。ルミネのエスカレーターの前で友人と待ち合わせ。駅前のイタリアントマトで、カボチャのケーキとピーチティーを注文する。大学1年生のころ、イタリアントマトでアルバイトをしていた。時給820円。朝のシフトは主に韓国人留学生のリーさん、本仮屋ユイカにそっくりの大学4年生、ひまを持て余しているのに週に2回しかシフトに入らないおれ。リーさんは兵役を終えて日本の大学に留学した。リーさんはよく軍隊の話をしてくれた。2001年、9.11のテロの当日、リーさんの所属していた部隊は武装して軍事境界線に向かった。「北朝鮮による攻撃ではないか」という情報を受けてのことだったらしい。本仮屋さんは大学を卒業して、東北のどこかの市役所に就職した。

イタリアントマトを出て、改修された池袋西口公園にはもうかつての面影はない。きれいに漂白された円形の空間が広がっている。酒に飲まれた曖昧な人間たちを引き寄せる噴水もガムの痕跡がへばりついたコンクリートのステージも喪われた。I.W.G.Pをリアルタイムで知らない世代のおれは東京の大学生になって、西口公園のひんやりしたステンレスのベンチに腰かけて酒を飲んだ。大学の授業のあとの飲み会の帰り道、おれはたぶん参加者の半分以上から少なくともよく思われてはいなかった。オシャレな同級生たちに影でバカにされていると思い込んでいた。誰も自分に敵意を向けているわけではないのに「絶対に自分からは歩み寄らない」と固く心に決めていたので普通の会話も噛み合わなかった。飲み会で同じく浮いていた服がダサい男とたまたま帰り道の方向が一緒だったので「公園でもう一杯飲もう」と誘った。服がダサいやつならバカにされることもないだろうと考えた。金がなかったのでブラックニッカの瓶と炭酸水を買って、コップがないので口の中でハイボールをつくる。

タルコフスキーの映画を観たことあるか?」と服のダサい男は言った。いつもえらそうにものを言うやつだった。ない、と答えると「まあ、普通はシネコンでやってる作品しか観ないか」と鼻で笑った。もはや小説でしかお目にかかれない「文化系大学生かくあるべき」という感じの男だった。そのあと半年くらい経って、TSUTAYAタルコフスキーの映画を借りた。金がなかったので服のダサい男と飲むときはいつもチェーンの居酒屋、二次会は池袋西口公園かカラオケ747のフリータイム。彼は大学を卒業したあといくつかの仕事を転々として、最後に勤めた会社を無断欠勤して消息不明になった。たまに思い立ってLINEを送っているが既読がついたことはない。

ライブハウスの前にはすでに30人以上のファンが並んでいた。前回のイベントは並ばずに入れたので予想外だった。客入りは70人ほど、5組のアイドルが順番にステージに立つ。大きな声を出すと音が割れてしまう安っぽいスピーカーを通して歌声を聴き、よろよろとぎこちなく身体を揺らす。本当はコールをしたいけれど恥ずかしい。最前列で手を振る人、後方で謎のオタ芸を披露する人、壁にもたれてドリンクを飲む人。思い思いに彼女たちのパフォーマンスを味わっている。ダンスから練習の蓄積が見えるグループもあれば、どう考えてもPerfumeのコピーとしか思えないグループもいる。中盤に出演した「アイスクリーム夢少女」というグループは特に完成度が高く、センターの子はダンスのキレも歌唱力も抜きん出ていた。チケット代は無料で2ドリンク、ライブ後のグッズ販売とチェキ撮影がおそらく彼女たちの収入源になっている。グッズは次回、買おうと思う。おれはアイドルが好き。アイドル文化を愛しているというのもあるけれど、どちらかといえば恋愛的な意味に近い「好き」だという気がする。

1年前から風呂場の電球が切れている。少々不便だけどあまり買い換える気にならない。湯船に浸かる20分間だけ、暗闇でじっとしていればいい。2週間前に台所の電球が切れた。ここ半年、自炊をしていないので特に困らない。暗闇のなかiPhoneの灯りを頼りに歯ブラシと歯磨き粉のチューブを探し当て、リビングで歯を磨いて、またキッチンの暗闇へ口をゆすぎに戻る。1Kの部屋のなかで照明がつくのはリビングとトイレだけ。2階の角部屋なので陽当たりだけは素晴らしく、掃除は朝の光が入るうちに済ませる。仕事を終えて家に帰ると玄関からつながるキッチンは真っ暗で、リビングの照明のひもを引き当てるまでがひと苦労だ。エアコンのリモコンは電池が切れているので、暖房をつけることができない。毎晩寒いが電気代は安い。生活への愛着が少しずつ薄れていく。守るべきものがないのだからせめて身軽でたい。本当はそんなことはないのだけど、失うものが何もないと思い込んで仕事ができるのは今だけかもしれない。毎週『欅って、書けない?』と『日向坂で会いましょう』の放送を楽しみにしている。華やかな光を浴びてバラエティのセットの中にいる彼女たちの姿を無責任に愛して、リアルタイムでTwitterに感想を書き込む。「おすしがたくさん映ってうれしいな〜」とか「顔色がよくなって安心しました」とか。失われた生活への愛着は、今はテレビの向こう側にある。

起きている時間のほとんどを仕事場で過ごしているので、年始も3日から自分のデスクにいた。とはいえラジオを聴きながら企画書を書くために話題の本や雑誌に目を通すというほとんど趣味みたいな時間だった。仕事場のビルの近くには喫煙所がないので、近くの公園まで煙草を吸いに行く。ひまを持て余していそうな男子中学生がキャッチボールをしている。いちおう野球部っぽいけど、どっちもとにかくコントロールが悪い。フォームのバランスが悪い。足元に転がってきたボールを拾いあげて20メートル先に向かって投げ返すと、背中に強い痛みが走った。年々、体は衰えていく。高校生のときに悩まされていたケガとまったく同じ箇所がズキズキと痛んで少し懐かしい気持ちになった。

山梨県石和温泉に出張。前日の午前中に府中で別件の取材を終えて、八王子から特急「かいじ」甲府へ前乗り。甲府は3歳から8歳までの期間を過ごした町だ。親の転勤で埼玉に引っ越して以来、一度も足を運んでいない。雑務が溜まっていたので、駅前のエクセルシオールMacBookを開いて作業。15時前後という時間帯のせいか、左右の席に高校生カップルが陣取っていた。3月の大会で部活をやめようと思っていること、期末テスト前の勉強会のスケジュールのこと、空気が読めない同級生のシライシのこと、シライシが最近バイトを始めて高いアクセサリーを身につけるようになってますます気に入らないこと、ケイくんの学校は制服のボタンを上まで閉めないと生活指導で呼び出されること、それなのにスポーツクラスのやつらはボタンを開けていても一切注意されないこと、ケイくんは高校に入学してすぐにバスケ部の女子と付き合っていたけど些細なケンカで彼女に泣かれるのがいやで半年で別れてしまったこと、今の彼女はめったに泣かないけれど気が強くてすぐにキレること、同じクラスのサイトウがYouTuberになったこと、普段はギャグセンの高いサイトウのYouTubeチャンネルはあんまりおもしろくないことなどを知った。すっかり日がくれた18時ごろ、高校生カップルたちが店を出てようやく作業を再開する。東京で仕事を片付けてから来るべきだった。

宿代がもったいないので4人部屋のドミトリーに宿泊することにしたのだけど、チェックインカウンターで書類を書いていたら奥の共用スペースから「んなこと言われなくてもわかってんだよお!」という男の怒鳴り声が聞こえて一瞬で宿代をケチったことを後悔した。あいつと相部屋だったら最悪だ。もしそうなったら今からでもホテルをとり直そうと思ったが幸いなことにその日は宿泊者が少なく、4人部屋に泊まるのはおれひとりだった。部屋に荷物を置いて、パーカーとジャージに着替えて再び街へ出る。共用スペースの前を通ると、さっきまで誰かに怒鳴り散らしていた男はリクライニングチェアに座ってNHKのニュースを見ていた。「ちよだ」というほうとう屋さんに入る。ほうとうは提供までに30分かかるというので、テレビを見ながら鶏皮ポン酢をつまみ、瓶ビールをちびちびと飲んで待つ。ほうとうは思ったよりも肉の味がして、こってり風味でおいしかった。2軒目は焼き鳥屋へ。カウンターで焼き鳥を焼いているおばさんに「僕、甲府出身なんですよ」と話しかけてみたが、声が小さかったせいか何の反応もなかった。微妙にいたたまれない気持ちになったが、隣に座っていた40代くらいのスーツの男性が気を遣って「どこから来たんですか?」と代わりに返事をしてくれた。

翌日は朝8時に起きて、2駅隣りの現場へ向かった。結局、昔住んでいた町の近くまでは行けなかった。当時の幼馴染の友達も今は甲府に残っていないので、誰にも会わなかった。電車に乗る前に、甲府駅前のロータリーから武田信玄像をぼんやり眺め、「ここで育ったんだな」と思った。おれのいちばん古い記憶は、3歳のころに東京から甲府へ引っ越す車中で、母親が涙を流していたこと。東京生まれ東京育ち、バブル真っ只中の渋谷で青春時代を送り、原宿のデザイン専門学校を出て都心の大企業の事務職に就いた母親は「山梨なんかに住みたくない」と運転席に座る父の横で泣いていた。あまりにひどい理由だ。

石和温泉駅で、クライアントの担当者とデザイナーさん、カメラマンさんと合流。その日、初対面のカメラマンさんの名刺に書かれた名前に見覚えがあって、よくよく思い返してみるとおれは去年、下北沢の本屋でその人の写真集を購入していた。素晴らしい写真集だった。とはいえ写真集の内容とはまったく関係のない仕事の現場なので、話題に出していいのか悩む。取材を終え、駅で解散する直前にこっそり「写真集、持ってます。めっちゃよかったです」と伝えた。その人はニヤっと笑って「また本出すんで、楽しみにしててください」と言った。相澤義和さんという写真家の方。迫力のある顔つきだった。

タイムフリーでラジオを聴きながら東京へ戻り、15時から神保町で打ち合わせ。そのまま再び早稲田の仕事場へ向かう。昨日から着替えていなかったので一旦家に帰りたかったが、21時から別件の取材が入っていたのでデスクで仮眠をとる。

2019年の書籍、漫画、テレビ、ラジオ、演劇など

 

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 会社を辞めてから3か月が経った。フリーになってから依頼のあった仕事をほぼ全部受けたこともあり「睡眠時間は削らないほうがいい」ということを身をもって思い知った。先月は夢の中でも原稿を書いていた。

 

日記を書くのも3か月ぶりになってしまった。11月の文フリに合わせて元カレインタビュー本『そんな時代があったことなどとうに忘れて』の第二弾をなんとか刊行。今回はほぼ初対面の人に話を聞いたり、一章ごとの構成を長めにしたりと細かい部分を変更しつつ、インタビュイーの語り口をなるべくそのまま残すという大筋の部分は変えていない。どこにも書かれることのない私的なエピソードを客観的に記録する、というところに自分が書く意味を見出している。文フリ当日は知り合いにもそうでない人にもたくさん声をかけてもらって「読んでくれる人がいるんだな」と感慨深い気持ちに。九龍ジョーさんの『Didion vol.3』、合同誌『USO』、『前略』、ミワさんの『生活の途中で』などを購入した。不恰好でも同人誌を作り続けていると知り合いが増えるので楽しい。個人的には本格的にルポをやりたいと思っています。

※『そんな時代があったことなどとうに忘れて』はこちらから注文できます。下北沢B&Bでも展開中です。

https://summersail91.stores.jp/

 

12月発売の『QuickJapan』では空気階段の特集を担当。QJでゼロから企画を立てるのは初めてだったので年末はなかなかの大仕事だった。TBSラジオ空気階段の踊り場」の放送にお邪魔したり、草月ホールでのイベント「大踊り場」で峯田和伸さんとの共演の様子をレポートしたりと、夢のような取材期間だった。PUNPEEイヤーブック、BEYOOOOONDSスタッフインタビューの構成・執筆なども担当しています。どうかひとりでも多くの人の手に渡ってほしい。

 

 仕事の面ではハードコアな経験を積んだ一方で、私生活には特に変化のなかった2019年。以下、個人的に深く印象に残ったさまざまなカルチャーを駆け足で振り返っていきます。ランキングではないので順不同です。

 

■書籍

上半期は小説、下半期は社会学・人文学系の本をぱらぱらと読みました。並べてみると本屋大賞っぽいラインナップですね。

 

川上未映子『夏物語』 

夏物語

夏物語

 

 2019年の後半、「生まれてくること」はよいことなのか、というテーマについて考えをめぐらせた時期でもあった。『現代思想』の反出生主義特集とあわせて読み直した。シリアスな問題と向き合いながら物語を紡いでいくしなやかな手つきに感動しました。

 

町屋良平『愛が嫌い』 

 

愛が嫌い

愛が嫌い

 

「愛がこわいぼくは好きな相手と生活しただけで萎えてしまって、それでもなんとかやさしくしたかった。しかし、「情が湧く」という定型の実感だけは全くもたらされなかった」

他者への愛情や優しさは所与のものではなく、コミュニケーションを重ねて後天的に習得していくものなのだろう。社会的によいとされる規範から外れてしまった男性の心もとなさを町屋良平は丁寧に描いている。

 

高山羽根子『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

 

 他者の視線から、暴力から、欲望から、自分を守るために「私」は淡々と過去の記憶に向き合う。深い傷を抱えながら疾走するラストシーンは圧巻。

 

清水裕貴『ここは夜の水のほとり』

ここは夜の水のほとり

ここは夜の水のほとり

  • 作者:清水 裕貴
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 短編「最後の肖像」が素晴らしい。知り合いの肖像が本人と結びつかない、という“写真”というメディアの歪みには個人的にとても関心がある。

 

佐川恭一『受賞第一作』

受賞第一作 (破滅派)

受賞第一作 (破滅派)

  • 作者:佐川恭一
  • 出版社/メーカー: 株式会社破滅派
  • 発売日: 2019/07/30
  • メディア: Kindle
 

 エロと承認欲求が渦巻く本作、根底にあるのは「幸せになりたい」という純粋な欲望だ。佐川氏はほかにも『サークルクラッシャー麻紀』、『童Q正伝』、『シュトラーパゼムの穏やかな午後』など怪作揃い。インテリ童貞たちのリビドーほとばしる一人語りは涙を誘う。

 

岸政彦『図書室』 

図書室

図書室

  • 作者:岸 政彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本
 

表題作の「図書室」はもちろん、後半の「給水塔」が印象的。大阪での暮らしとその風景がディティールの素描から浮かび上がってくる。

 

小松成美『M 愛すべき人がいて』

M 愛すべき人がいて

M 愛すべき人がいて

 

なにかと平成の終わりを意識させられることが多かった今年、これに触れないわけにはいかないような気がする。小松成美氏の端正で儚い文体が「あゆ」のイメージにマッチしていた。

 

中原昌也『パートタイム・デスライフ』 

パートタイム・デスライフ

パートタイム・デスライフ

 

 もはや内容云々ではなく中原昌也が今なお小説と格闘しているという事実に興奮する。時代を猛スピードで逆走する中原昌也ここにあり。

 

綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

  • 作者:綿野 恵太
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 パワハラ、セクハラ、女性差別など昨今の人権問題について考えるうえで「アイデンティティ」と「シチズンシップ」という定義を引くと自分の頭の中が整理されるのでよかった。

 

高橋ユキ『つけびの村』 

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

 

 取材対象者たちの発言の違和感、価値観のズレを掘り下げていく描写がスリリング。

 

 

■漫画

今年は恋愛モノ以外の漫画も読みました。文芸と同様にわりと売れ筋のものを追っている感じですが、今年の個人的なテーマは「わかりあえなさ」だったような気がします。

 

山口つばさ『ブルー・ピリオド』

ブルーピリオド(6) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(6) (アフタヌーンコミックス)

 

 王道のスポ根受験モノ。顧問の先生の言葉を通じて絵画の魅力が伝わってくる。日本の美術と受験絵画の連関についてはパープルーム予備校の梅津庸一氏が詳しく語っているのでこちらも合わせて読んでほしい。

 

なぜ、パープルーム予備校か?
【梅津庸一インタビュー・前編】

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/2489

 

田島列島『水は海に向かって流れる』 

水は海に向かって流れる(2) (週刊少年マガジンコミックス)

水は海に向かって流れる(2) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 

父親の不倫を軸に複雑に絡み合う人間関係、それでも「ふつう」の生活を追い求める直達と住民たちのたくましさ。榊さんの優しさが心にしみる。

 

瀬川藤子『コノマチキネマ

コノマチキネマ 2巻 (ゼノンコミックス)
 

こちらも疑似家族的なコミュニティのお話です。初めてのひとり暮らしの高揚感が楽しい。

 

石黒正数『天国大魔境』 

天国大魔境(3) (アフタヌーンKC)

天国大魔境(3) (アフタヌーンKC)

 

 マルとキルコの過去が明かされ、目が離せない展開になってきました。『少女終末旅行』を彷彿とさせるディストピアの描写にグッとくる。

 

noho『となりの妖怪さん』

となりの妖怪さん2

となりの妖怪さん2

 

妖怪と人間というわかりあえない生き物同士が「おとなりさんだから」という理由で助け合いながら社会での共生をめざしていく姿が美しい。

 

沙村広明波よ聞いてくれ』 

波よ聞いてくれ(7) (アフタヌーンコミックス)

波よ聞いてくれ(7) (アフタヌーンコミックス)

 

 王道ラジオ漫画かと思いきや殺人事件編、カルト宗教編とますますカオスな展開に。北海道ローカル情報はいつか旅行にでかけたときに参考にしたい。

 

フォビドゥン澁川『スナックバス江』

スナックバス江 5 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

スナックバス江 5 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

こちらも札幌が舞台のスナック・ギャグ漫画。あんなスナックがあったら毎日通ってしまう。おれは明美ちゃんが好きで好きで仕方ない。

 

奥田亜紀子『心臓』

心臓 (torch comics)

心臓 (torch comics)

 

2019年ベストです。

 

阿部共実『潮が舞い子が舞い』

潮が舞い子が舞い(2) (少年チャンピオン・コミックス)

潮が舞い子が舞い(2) (少年チャンピオン・コミックス)

 

こちらも個性豊かなクラスメイトたちの「共生」を描いた作品。教室モノはよいですね。

 

 

■テレビ

毎週日曜0時からの『乃木坂工事中』『欅って、書けない?』『日向坂で会いましょう』の坂道バラエティ3連発が生活の支えになっている。なかでも2019年を代表するアイドルバラエティに成長した『日向坂で会いましょう』。バラエティ能力が異常発達している日向坂46の今後が楽しみですが、おれは毎回おすしこと金村美玖さんが収録を楽しめているのか気になって仕方ない。一方で『欅って、書けない?』は相変わらずスタジオの空気の膠着っぷりから目が離せません。日向坂が異常なだけでこっちの方が普通だよな、と授業参観のような穏やかな気持ちで楽しんでいる。

ついに全国放送となった『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです』は相変わらずローカル感たっぷりでうれしい。素人と抜き身の一本勝負を繰り広げるオードリーの真骨頂が見れます。佐久間Pが演出を手がける『あちこちオードリー』もおもしろいですね。

『相席食堂』は某O田出版会議室で2日間かけて15回分を一気に視聴。今年いちばん愉快なお仕事でした。Netflixでの配信も始まったようなので、QJの相席食堂特集とあわせてぜひ。個人的には千原せいじ回、磯野貴理子回、杉本彩回がおすすめです。

 

■ラジオ

『オードリーのオールナイトニッポン』はラジオ関連本が刊行された後も相変わらず毎週聴き続けています。武道館ライブからはじまった2019年は激動の1年に。春日フライデー事件直後、若林の咆哮が冴え渡った4月27日の放送が個人的には印象深い。8月31日の「さよならむつみ荘」も胸に刺さりました。おれもいつか笹塚のアパートを出たら春日と同じく帰り道に旧居を見に行ってしまう気がする。そしてなんといっても11月23日の若林さんサプライズ結婚回。おめでとうございます。

 昨年の「かたまり号泣プロポーズ」をきっかけに聴き始めた『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)は「駆け抜けてもぐら」(4月5日)が個人的ベスト回です。あとは「カネの人」(3月8日)、「元カノとメシ行くタイプ」(5月24日)、「かたまり元サヤ」(7月26日)とか。どれもめちゃくちゃおもしろいです。30分番組だし、年末年始に聴き始める人にもちょうどいいのではないでしょうか。ラジオクラウドでほぼ全部聴けます。

『アルコ&ピースD.C.GAREGE』(TBSラジオ)はゴッドタンの「マジ嫌い選手権」で自分に似た俳優を使って平子を本気で刺しに行った作家・福田が裁判にかけられる回。テレ東佐久間氏の踏み絵のくだりで死ぬほど笑った。

アルピー酒井が静岡の国王として君臨している『チョコレートナナナナイト』(SBSラジオ)はやばたんこと矢端名結アナの誕生日回がめちゃくちゃ楽しい。『三四郎オールナイトニッポン』(ニッポン放送)は放送初期の月給3万だった時代と比べてみると相田さんの金銭感覚の狂い方が尋常じゃなくなってきています。最近はTOKYO FMの『杉咲花のFrower TOKYO』が日々の癒し。ホリケンゲスト回は杉咲さんのピュアさが際立っていて最高でした。

 

■演劇

2019年のベストは月刊「根本宗子」『今、できる、精一杯』。どこまでも人間はわかりあえない、という絶望の前でそれでも「おしゃべり」を諦めないという根本宗子のスタンスに胸を打たれる。はたから見れば滑稽な行動や言動もすべて「精一杯」の結果。だから誰も悪くないし、間違っていない。誰だって正解は知らないのだ。

一貫してディスコミュニケーションから生まれる笑いを描いてきた玉田企画は、『かえるバード』で新たな展開を見せた。第三者の視点から集団内の「気まずさ」を軸にしてきた前作までとは一転して、『かえるバード』では一対一のヒリヒリするようなセリフの応酬が繰り広げられ、客席にいながら傍観者でいられないような緊張感を味わった。

ロロの本公演『はなればなれたち』も圧巻だった。演劇を通じて結ばれた仲間たちの歩みを振り返りながら、新しい旅の始まりを告げる。五反田団『偉大なる生活の冒険』の再演も印象深い。

そして12月の蛙亭単独公演「東京無限大青春朝焼物語」。殉職した上官のスマホから同僚のハメ撮りが大量に出てくる、今は亡き父親がかつて出演したAVを親子で鑑賞する、という気が狂ったような設定のコントの数々に死ぬほど笑いました。

 

 

だいぶ駆け足になってしまいましたがこんな感じでしょうか。「人間はわかりあえない」という前提に立ってそれでもコミュニケーションをあきらめない執念こそが共生への第一歩かもしれません。毎年だいたい同じ結論に至っているのでおれ自身にはあまり進歩がないですね。

 

みなさまよいお年を。笹塚より愛を込めて。

 

 

2019年9月23日

 

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 9月13日、28歳になった。当日は会社の数人と飲みに出かけた。

 28歳時点の自分は想像していたよりもずいぶんマシ、というか数年前の予想と比べるとなかなか上出来だ。大学4年次と大学院の2年次、二度にわたって新卒の就職活動を投げ出しているので「仕事をしている」という現状だけでもじゅうぶん立派だと思う。もっとろくでもない20代を過ごすと思っていた。さすがに法に触れるようなことはないと思っていたが、メンタルを崩して実家に引きこもるくらいは余裕でありえるだろうと予想を立てていた。

 なにも成し遂げてはいないしどちらかと言えば敗走を繰り返した20代だったが、得るものはそれなりにあった。手に入らなかったものは少しずつ諦めていくだけだ。

 

 9月14日、吉祥寺のギャラリーamalaで高橋恭司展『LOST 遺失』。言語化しようとすると本質が滑り落ちていくような、つかみどころのない写真だった。ドイツの墓標や鳥や通行人が脈絡なく切り取られたハイキーなスナップ。印画紙から読み取れる情報は複雑に混線しているが、一枚一枚の持つ説得力がギリギリのところで展示を成立させている。新刊の写真集『WOrld's End』を購入。鳥のモチーフについて高橋恭司氏にいくつか質問したが、想定の斜め上の答えが返ってきた。

 夜はご近所のカメラマン小野さん、ボタン作家の夕加さんと合同で誕生日会を開いてもらった。吉祥寺の居酒屋で、2次会からはデザイナーさんたちも合流しほぼ初対面のメンバーだったがたわいもない話で盛り上がった。

 

 最近のおれはそれなりに社交性がある。翌日、季節の変わり目のせいか久々に体調を崩して寝込んだ。

 

 9月16日、新宿のバルト9で『天気の子』。完璧に作り込まれたファンタジーの世界で躍動する少年少女。随所にエモーショナルな新宿の街景が挿し込まれる新海誠ワールドに少々胸焼けしつつも、美しい冒険物語に惹き込まれてしまった。本田翼の声の演技が素晴らしすぎる。『最終兵器彼女』的なエッセンスを加えつつ、ディストピアと化した東京で繰り広げられる恋愛劇。ラブホテルでカップラーメンをすするシーンが最高でした。

 どうでもいいけど新宿区の零細編集プロダクションが頻繁に登場していたのでそちらにばかり目が行ってしまった。義理人情に厚そうに見えてやっかいごとから手を引く判断のスピードはさすが編プロの経営者。

 

 3ヶ月ほど前に虫歯ができて歯科医院に通っていたが、なぜか麻酔がまったく効かず大学病院に転送される。そこで「せっかくなら親知らずも抜いたほうがいい」と言われ、入院して全身麻酔で抜くことに。麻酔の事前検診などもあり、8月は毎週のように大学病院に通っていた。  

 全身麻酔の威力はすごい。腕に針を刺してからものの数秒で意識を失い、次の瞬間にはもう手術は終わっている。目が覚めて、担当の看護師さんに「意外とすぐ終わるんですね」と聞くと「これでも4時間はかかってるんですよ」と言われた。人間の時間感覚なんて薬でどうにでもなってしまう。もし数年分の意識が飛ぶような麻酔があれば次に目覚めるころには30歳になっている、ということも起こり得るわけだ。たとえば勉強やスポーツの練習を積み重ねてきた時間とか、誰かと一緒に共有してきた長い時間とか、そういうことにおれはそれなりに意味を見出していたけれど、たかだか数滴の薬で吹っ飛んでしまうような時間感覚に果たして信頼を置くことはできるのか。

 

 9月18日、全身麻酔による手術を終えて、本当は安静しなければいけないのだけど、痛みも引いてきたのでふらふらとした足取りで新宿タワーレコードへ。カネコアヤノのインストアライブはイベントスペースから人が溢れるほどの大盛況。もうインストアでやることないだろうな。30分前に到着したころにはステージ前はすでに缶詰状態で、フロアのいちばん端からステージを眺めた。それでもカネコアヤノの歌う姿を遠目から見ることができて大満足。『燦々』、めちゃめちゃ素敵なアルバムです。

 

“たくさん抱えていたい/次の夏には好きな人連れて/月までバカンスしたい”

 


カネコアヤノ - 光の方へ

 

 

 9月19日、渋谷WWWXで『Quick Japan LIVE』。Mellow Youth 、ユアネス、ghost like girlfriendとフレッシュなアーティストが揃う。Ghost like girlfriend、パフォーマンスも素晴らしくて驚いた。遠目から見ても華がある。4組目のラッキーキリマンジャロまで観たところで離脱。池袋にて、今年いろいろと仕事でお世話になった方々と懇親会。

 時期的にも予定がたくさんあるわけではないはずだけど、なぜか忙しい。

 

 9月20日、普段お世話になっているカメラマンさんたちとドライブで清里へ。秋晴れの気持ちのいい日だった。おれは結局、今年いちども運転をしていない。清里フォトミュージアムで『ロバート・フランク展–もう一度、写真の話をしないか。』を観る。1週間前にロバート・フランクの訃報が流れたばかりというタイミングで、展覧会はフォーマルな構成も相まって回顧展のように映った。パリでの写真が印象に残るが、おれはロバート・フランクの写真について何も理解することができなかった。

 清里フォトミュージアムはコンクリートの建築も美しく、中庭に敷かれた芝生も爽快だった。夜は新宿の思い出横丁の岐阜屋から歌舞伎町のジャズバー・ナルシスへ。エドワード・ヤンの映画や高橋恭司の写真についていろいろ話した。車中でロラン・バルトの話題になり、帰宅してから学生時代ぶりに『明るい部屋』を読み返した。当時よりも写真を撮ることから離れた今の方が、不思議と内容が頭に入ってくる。

 

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

 

 

 9月21日、自宅で『キングオブコント2019』の生放送を観る。おれの一押しはよしもとの男女コンビ・蛙亭だったが決勝には上がれず。何年か前にテレビで観た「クラスで浮いている女子が腹に爆弾を巻いて登校してくる」というネタはエキセントリックな文学性を帯びた傑作だったのだけど、今は動画サイトでも観ることができない。M-1はなんとか勝ち抜けてほしい。ABCお笑いグランプリを制したファイヤーサンダー、『にちようチャップリン』の常連だったジェラードンも準決勝敗退。決勝出場者がシークレットなのも賛否両論あったようだけど、個人的には予選の結果発表のシーンが流れるたびにテンションが上がるので楽しかった。

 本戦で印象に残ったのはビスケットブラザーズゾフィーかが屋ジャルジャル。特にゾフィーは腹話術人形の「ふくちゃん」が記者のほうへゆっくり顔を向ける場面で死ぬほど笑った。ビスケットブラザーズはままごと『わが星』のような台詞回し。コントになるとあんなに笑えるとは思わなかった。

 空気階段のタクシーのネタは最後まで爆発せず。しかし水川かたまりの「お笑いのある世界に生まれてよかったです」という敗退コメントは今回のMVPでした。昨年は準決勝敗退のショックで酒に溺れ、彼女に振られてと散々だった水川かたまりのキングオブコント。今年はどうかおだやかに過ごせますよう。

  

 ほぼ新卒(正確には既卒だけど)で入社した編集プロダクションを退職して、明日からフリーランスになる。大学院を出て運よく拾ってもらってから3年半、会社員生活は楽しい思い出しかなかった。体力的にはしんどい時期もあったけれど。もういちど学生に戻ったとしても、この会社に入りたいと思う。ついていく大人を間違えなかったのは、自分の20代で唯一誇れることだ。

 個人で受けていた雑誌の仕事が増えたのが独立のおおきな理由のひとつ。少し不安はあるけれど(現状けっこうスケジュール空いてるし)なんだかんだしぶとくやっていくしかないという気持ち。どんな仕事をしていたってテキストは書ける。