有馬温泉で暮らしませんか

f:id:melrn:20190923211838j:plain


 

 2年前の夏に好きな人ができた。その時期は別れたばかりの元カノと「これで最後にしよう」と会うたびに言い合っていて、もしかしたら復縁できるかもと思っていた矢先に彼女はアルバイト先の同僚の彼氏とヨリを戻してLINEをブロックされた。あの、ワンポイントリリーフってわかります? 野球の用語で、左バッターのときだけ登板する左ピッチャーみたいな感じなんですけど、言ってる意味わかりますか? そういうアレではないでしょうか、本当のところは知りませんが、と渋谷の焼き鳥屋のカウンターでグチグチといいかげんに説明すると「私、けっこう野球詳しいんですよ」と彼女は目の前で架空のバットをスイングして、ふわっと熱気を帯びた風を頬に感じて、一瞬で恋に落ちました。

 それまでは何度か会ったこともあるけれど、ふたりで会うのははじめてだった。会うたびに化粧が少しずつ変わっているなという印象がわずかに残っているくらいで、もともとかなり視力が悪いのでハッキリと認識できていなかったけれど、はじめて近くで見るとそれはもう見惚れてしまうほど美しい顔立ちだった。皮膚が薄くてすこしまぶたが眠そうで、鼻筋がすらっと立っていて唇は薄い。惹き込まれるように顔ばかり見ていた。両手でグラスを持ってレモンサワーを飲む仕草がかわいらしい。終電を逃したサラリーマンや大学生のむさ苦しい人混みのなかで、白い肌がひときわ映える。深夜1時を回っても8月のその日は蒸し暑くて、目尻のアイラインがすこしだけ滲んでいた。子どものころのこと、家族のこと、中学時代の部活のこと、高校のときの修学旅行のこと、受験のこと、学生時代のこと、社会人になってからのこと、今の仕事のこと、すでに終電を過ぎた真夜中の時間を少しでも引き延ばそうとたくさんの質問をして、その人はすべての質問に対してひとつひとつ丁寧に答えてくれた。普段は非喫煙者と一緒にいるときはタバコを吸わない、どうしても我慢できなくなったら1本だけ、というルールを自分に課しているのだけど緊張と酔いのせいもあってひと箱吸い切ってしまった。普段はあんま吸わないんですけどちょっと緊張しててめちゃめちゃ吸っちゃいました、タバコ臭くてすみません、と言うとその人は「私も緊張してたんですけど、今は楽しいです」と笑ってくれた。おれはその時点でおそらく生ビールを10杯くらい飲んでいたけれど頭はなかなか冴えていて、彼女がなぜか「有馬温泉に行きたい」と言っていたのでおれは「一緒に行きませんか」と誘っていいかどうか検討した。おれは有馬温泉に行きたい。そして東京に帰ってきたくなかった。おれはたぶんあなたときっとうまくやっていけると思う。まだなにもあなたのことを知らないけど。おれはその気になればタウンワークで片っ端から電話かけて居酒屋でバイトできるし、イベント設営の派遣もそれなりに経験がある。あとは月に何本か原稿仕事があれば生活費の足しにはなるだろう。これから生い立ちを知って、生まれた病院のことを知って、何に怒るのかどんなときに悲しくなってしまうのかをひとつずつ知って、1年後には有馬温泉の近くで仲良く一緒に暮らしたい。「こんなに趣味の話ができるとは思ってなかった」と彼女は言った。おれはうれしかった。気づくと店内にはおれと彼女だけがぽつんと残されていて、入り口のドアの方から朝の光が差し込んでいた。店の外は蒸し暑くて、コンクリートの乾いた匂いがする。

 

 好きな人がいる、という事実はおれにとってお守りみたいなもので、仕事でなかなか結果を残せていないことも、尊大な態度のおじさんに何度も原稿をリライトさせられていることも、1か月以上も掃除をしていない風呂場にカビが生えたことも、虫歯が思ったよりも重症で手術が必要なことも、収入が減って母親にお金を借りていることも、他の女性の家に呼ばれてセックスしてしまったことも、その部屋に大事な薬のケースを置き忘れてしまったことも、すべてが大丈夫になった。おれには好きな人がいるからなんとかギリギリかろうじて生きていける。おれと一緒に有馬温泉で暮らしませんか。一回だけ会った夜の記憶があまりに鮮烈で、忘れないようになんども思い返していた。ダビングしまくったビデオテープのようにだんだん記憶にノイズがかかってきて、忘れているシーンは都合よく上書きされていく。

 

 その後もなんどか連絡を交わし、数回会ったけれど、冬になるころにはぱったりと連絡が途絶えてしまった。何度か会ううちにわかったのは、彼女はおれにあまり興味を持っていないということだった。

 

 人を好きになることってこういうことだったっけ?と思い返してみてもおれは粗雑なポルノ映画みたいな恋愛しかしてこなかったのでなにもわからない。過去に好きだった人のことも今となっては思い出せない。それから1年が経ってお守りは日に日に効力を失って、あれだけ楽しかった日の記憶も薄れて、もはや何も大丈夫ではなかった。それでもういちど会ってみようと思い立って連絡をとって、肩まで伸びた髪の毛を切って服を新調してヒゲを剃って、自分ができる限りの最大の清潔感と雰囲気イケメン感を演出した。悪くないでしょう。こういうところはおれのいちばんいいところだしいちばんゴミクズなところだと思う。結局のところ自分がいちばん大好き。

 久しぶりに会ったその人はやっぱり死ぬほど美しくて、やっぱりおれに全然興味がなさそうだった。最初に会ったときの記憶がウソなんじゃないかと思うほど会話はかみ合わなくて、おれはどんな話をすればいいのかわからなくて、それでも楽しかった。とても優しくて、とても賢い人だと知った。居酒屋を出て駅まで歩く道すがら「もっと一緒にいたいです、〇〇さんのことが好きです」と伝えた。彼女はとても困った顔をしていて、そのとき初めてまともにコミュニケーションができたかもしれないと思った。翌日に送られてきたLINEには、とても丁寧な文章で、ただハッキリと「ごめんなさい、付き合うことはできません」と書いてあった。こちらこそごめんなさい。でもおれはあなたのことを好きになってよかったです。知っていたとはいえ悲しかった。でも、最後にちゃんと正直に話ができたような気がして、おれもまた恋愛ができるかもしれない。

 

 それからおれは「好きな人がいた」という記憶をお守りにしていて、かつて好きな人がいたということは今後もまた誰かのことを好きになる可能性があるということだ。可能性という言葉は甘くて優しくて心地よい。「フラれちゃいました」と信頼のおける友人に話して、殊勝に笑い話にしてみたけど本当はちょっと落ち込んでいた。何が好きだったんだろう。顔? もう思い出せない。

 

 ただひとつだけ本当にその人を好きだったと思える記憶はあって、それはここには書かない。もうお守りにはならないけれど、この先もいつか折に触れて思い出すつもりだ。とても些細なことで、だから鮮明に覚えている。おれはこの記憶を丁寧にたたんでクローゼットの奥にしまいこんで、平然としたツラで社会を生きていくのだ。好きな人に好きになってもらえなかったということだけを受け入れる。手の届かない存在だったとかそういう話じゃなくて、その人はたしかに私と同じ地平に立っていて、同じ時間を向き合って、そのうえでハッキリと、通じ合えなかったことを知った。それはもしかしたらあったかもしれない時間や、行けるはずのなかった有馬温泉を想像することよりも、おれが今ふらふらと手探りで歩いている道を肯定してくれる。でも、本当はすごく悲しい。