2019年7月7日

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 梅雨入りと同時に激しく体調を崩し、5日ほど寝込んでいた。昔からとにかく低気圧に弱いのだけど、年々ひどくなっている気がする。梅雨は本当にだめだ。高熱を出したせいで久々に人と会う予定がすべてキャンセルになり、いよいよ孤独な気分に。50になる前にあらゆる人間関係を断ち切って温暖な町で油絵などを描いて暮らす。誰にもすがったりしない。このまま東京に住み続けてダサいおじさんになるのは嫌だ。絶対なりそうだから。

 

 幡ヶ谷の居酒屋で隣に座っていたよく知らない女の人に「忘れられない人っている?」と唐突に訊かれた。酔った頭でぐるぐる考えてみたけれど、誰の顔も思い浮かばない。たぶん忘れたくなかったけど、ぜんぶ忘れてしまった。

 深夜2時、居酒屋のガラス戸を開けるとコンクリートの湿った匂いがして、雨が降っていたことに気づく。六号通り商店街から甲州街道に抜けて、歩いて笹塚のアパートへ帰る。

 


HASAMI group - 病気が治ったら

 

喜びだって悲しみだってぐるぐる回る同じもの

千回目の出会いを経て僕らは同じ町に住んで

今を生きる事だって  昔に生きた事だって

出会って仕舞えばこっちのもんだ

不意に悲しくなってもそれでも

HASAMI group - 病気が治ったら)

 

 

 青木龍一郎によるバンド(ソロユニット?)HASAMI groupの名曲。MVは市川準の監督作品から引用している (市川準の映画が映し出す町の風景にも泣きそうになる)。ぼんやりとアンニュイな歌詞と後ろ向きだけど美しいメロディ。すっきりしない6月の気候にノイズの音が心地よく、ずっと聴いていられる。

 

 オペラシティアートギャラリー『トム・サックスティーセレモニー』最終日。エスカレーターで3階の受付に上がると50人以上の大行列で思わず断念しかけたが、なんとか20分並んで入場。茶道の道具とアメリカ大衆文化を想起させるアイテムを組み合わせたインスタレーション。一つひとつの造形作品に技巧が凝らされていて、「NASA」の刻印など細かいユーモア(?)も冴え渡っている。

 トム・サックスいわく「資源が限られた日本で培われてきた自然や材料に対する眼差しは、21世紀の宇宙開拓時代に必須の人間活動のひとつです」(美術手帖Webより引用)。意味はよくわからない。よくわからないが、アイロニカルなユーモアが確かに根底にあり、見事にそれが造形に表れている。それだけでずっと見ていられるような、楽しい展示だった。

 同日、オペラシティ内のNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)での企画展『オープンスペース2019 別の見方で(Alternativw views)』。梅田宏明、シンスンベク・キムヨンフンらの作品が際立って美しい。また、尾焼津早織の漫画作品「ハイパーフレーミングコミック」はコマ割りを設けず、カメラのフレーングによって場面を転換させるユニークな表現で印象に残った。「宇宙人、ひとり」というタイトルの漫画が特に素晴らしかった。YCAMで最後に展示していた三上晴子の作品は、予約制だったので見れず。会期はまだまだ長いのでどこかでもう一度見に行こうと思う。

 

 

 当日券でロロ『はなればなれたち』千秋楽へ。ロロが過ごした10年という時間を、架空の劇団「サンリオピューロランド」が語る。語り手の佐倉すい中がファンタジーをまじえつつ語る主人公「向井川淋しい」の歩みは、そのまま主宰の三浦直之が歩んできた歴史なのだろうか。

 スターがいなくなっても、いつの日か役者が全員死んでも、「演劇」は続く。「死んでも演じられるように」と生体データのログを残し続ける青年タクマの執念と、森羅万象を演じるうちに「劇団」という枠からも飛び出してしまった主人公・淋しい。それぞれが異なるスタンスで「演じる」ことに向き合っていて、彼らの個性はままごとの名作「わが星」の大胆な引用に結実する。

「はなればなれ」だけど「ばらばら」ではない。ゆるやかにつながっている。いつかいなくなっても、いずれ死んでしまっても、もともとはなればなれだった私たちはもとの場所に戻っていくだけだ。記憶の中に物語は残る。すべてのつながりが気づけば希薄になっていく時代に、それがどれほど尊いことか。

 曽我部恵一BANDの「恋人たちのロック」を聴きながら井の頭公園まで歩いた。

 

 田島列島の新作『水は海に向かって流れる』がおもしろい。キャラクター全員の人のよさが悪い方向に転がったり、いい方向に転がったり。洒脱でテンポのいいセリフの応酬も心地よい。

 

 

 整体に通い始めて1ヶ月が経った。少しずつスタッフの方とも打ち解けて会話をするようになった。2週間ほど前に「アド街」で笹塚が特集されてから、商店街のお店はどこも行列ができているのだそう。「忙しすぎて味が適当になっている」と常連客らしいおじいさんが愚痴っていた。番組では、尼神インターの渚ちゃんが通っている近所の居酒屋「秀ちゃん」も紹介されていた。笹塚の商店街で派手な柄シャツを着ている人を見かけたらそれは渚ちゃんかおれだ。

 いつも通っている銭湯にも芸人さんがたくさんいる。たまに見かける金髪ロングヘアーの芸人さんはZAZYだった。応援してます。ZAZYの紙芝居はアシッドな笑いを誘発する怪作。


ZAZY 『転校生』

 

 

 土曜日、草月ホールで「イ・ランと柴田聡子のランナウェイ・ツアー」。冒頭、日韓の輸出入問題を引き合いに「輸出規制があるので、私が日本で見られるのも最後かもしれないです」というイ・ランのジョーク。柴田聡子のライブは2014年のインディーファンクラブで観たのが最後だ。2時間半の長丁場で柴田聡子はMCをほとんど挟まず、ストイックに歌い続ける。イ・ランはトークも軽快で、柴田聡子の母に挨拶をしたり、関係者席にいる友達に呼びかけたりしていた。

 素敵なライブだった。イ・ランの詩はストレートだけどどこか引っかかる。

  

ランナウェイ [SDCD-041]

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 最後に物販でサインをもらった。「QJのエッセイ、ありがとうございました」と伝えようか迷ったが、なんとなく違う気がして心の中で言いました。 

 編集・執筆を担当した「お金」特集が掲載されている『QuickJapan』144号が発売中です。「お金と仕事」をめぐるイ・ランさんのエッセイも載っています。

(あと『文藝』最新号「韓国・フェミニズム・日本」に掲載されていたエッセイもかなり差し迫る内容でした)

 

クイック・ジャパン144

クイック・ジャパン144

 

 

 新田章『恋のツキ』が完結。そんなに都合よく……とは思わないでもないオチでしたが、恋愛に「終わり」なんてないなと思う。結論が出るような話ではないし、作者の「この先も二転三転色々あるだろうな」というコメントでようやく腑に落ちた。序盤の「イコくんとならきっと憧れてたずーっとラブラブな日々が手に入る」というふわふわしたワコの願望もリアルだし、最終話の「…生きてる間はどうせ幸も不幸も尽きることはないからもしハズレを引いたとしてもその巡り合わせを楽しめる自分でいたい」という最終話の落とし所も見事だった。

『愛がなんだ』にしても『寝ても覚めても』にしてもそうですが、恋をするとすべてが明らかにダメになっていくタイプの人というのがいて、男女問わずおれはそういう人間のだらしなさを愛している。理性的、倫理的であるというのはもちろん素晴らしいことではあるのだけど、色恋で破滅していくのってものすごく人間って感じがしませんか。「恋人や異性に頼らず、自分を愛して生きていくべし」みたいなオチの恋愛漫画にやや辟易してきたところだったので、ワコちゃんが最後までワコちゃんらしく揺れていたのもよかった。

 達観したつもりになったって、どうしようもない人生は続く。

 

 

恋のツキ(7) (モーニングコミックス)

恋のツキ(7) (モーニングコミックス)

 

 

 自宅でずっとつけているテレビはNHKにチャンネルを合わせている。NHKの23時のニュースが好きだ。男性アナウンサーの落ち着いた声が寂しさを紛らわせるのにちょうどいい。いちばん好きなコーナーは天気予報。

 

 今週はオードリーANNがお休み。日曜日、radikoのタイムフリーでaikoオールナイトニッポンを聴きながら部屋の掃除。かすれた声と早口の関西弁が最高にグッとくる。序盤からくだらない下ネタを連発したり、ことあるごとに「看護師の母」のエピソードが登場したり。恋愛相談のコーナーに寄せられた「別れるためにaiko さんに背中を押してほしい」というメールに対するaikoの返答も素敵だった。「もうあかんな、つらいほうが大きいんやったら、また新しい恋を始めてほしいなと思います」(なんとベタな……!)。メールを読まれたらaikoと同じ髪型にする、というそのリスナーに「気持ちいいかもしれんよ、夏やしな」と優しく語りかけるaiko

流れた曲はaiko「ふたり」。

 

aiko、大好き……。

 

 

湿った夏の始まり[通常仕様盤]

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