2019年5月26日

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「でも……でも私、イケメンじゃないとダメなの!」

(うめざわしゅん『善き人のためのクシーノ』

 

 「非リア充」による独裁国家が、ルッキズムの撤廃のためにイケメンと美女の優位性をとことん弾圧する。自由恋愛が禁じられたディストピア。体制側でリア充の取り締まりを行う主人公は、弾圧の対象である美少女アイドルに好意を寄せ、彼女の国外逃亡を援助する。亡命船の前で、彼女は身を呈して自分を救おうとする主人公に「ガチ恋ですか?」と尋ねる。そして、冒頭のセリフ。

 うめざわしゅんの漫画『えれほん』収録の第一部「善き人のためのクシーノ」のワンシーンだ。ルッキズムがたびたび問題になる一方で、人間には選択の自由がある。社会はどうしようもない矛盾を抱えている。ラストの場面、国家警察に拿捕され「抱き枕」に改造されたヒロインを前に咆哮する主人公。どうしたらこんなの思いつくんだよ、と思うくらいおぞましく、悲しいシーンだ。

 

 

えれほん (バーズ エクストラ)

えれほん (バーズ エクストラ)

 

  

 うめざわしゅんの作品は大ゴマの使い方と長尺のセリフが素晴らしい。

 

「生まれてこないで済んだなら、それが一番良かったな/誰だってそうじゃない? みんな自分だけが自分なんだから」

(うめざわしゅん『パンティスストッキングのような空の下』)

 

パンティストッキングのような空の下

パンティストッキングのような空の下

 

 

 イ・ラン『私が30代になった』の刊行記念トークイベントを見に、青山ブックセンターへ。4年前に韓国で発売されたイラストエッセイの日本語版。彼女が「外付けHDD」と呼んでいるノートパソコンのフォルダを公開し、創作活動についての考え方を語りながらイベントは静かに進んでいく。「仕事をしているイ・ラン」と「プライベートのランちゃん」は別物なのだそうで、創作のタネにしている膨大な量のノートやボイスメモを公開することにも躊躇いがない。自室で弾き語りをしている映像は、「いつも泣いた後に歌っているから、どれもまぶたが腫れている」。

イベントの最後に質問することができた。

 

−−−たくさんの個人的なメモや画像を残しておくと、忘れたいことも思い出してしまったりしませんか?

 悲しいことと楽しいことは区別しない。ぜんぶの出来事にいいとか悪いとかは考えていない。私はイヤな人にも自分から会いにいく。自分が何がイヤなのかを確かめたいから。

 

 どんなに悲しいことやつらいことがあっても、それを作品に昇華できるのはアーティストの特権だ。院生時代に教授がそんな感じのことを言っていた。おれはアーティストではないけれど、悲しいことも楽しいことも、テキストを書くための糧になるといい。

 毎日、自分が生きていることを確認するために、イ・ランの部屋には壁の一面を覆うほどの大きな鏡があるのだという。彼女は「自分が生きていることを確認するために何をしてるか教えてほしい」と会場に問いかけた。おれは特に何も思い浮かばなかった。本当におれは生きているのか?

 

私が30代になった

私が30代になった

  • 作者: イ・ラン,中村友紀,廣川毅
  • 出版社/メーカー: タバブックス
  • 発売日: 2019/05/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 3年ぶりに自宅にテレビを置いた。会社の先輩が大きなテレビを5000円で譲ってくれた。実家にいたころからそれほどテレビは見ていなかったのだけど、引っ越してからは半分意識的にバラエティやワイドショーの情報をシャットアウトしてきたこともあり、その情報量の多さに純粋に驚く。おれの知らない外の世界で、知らないことがたくさん起きている。それが何よりも新鮮で、テレビの電源をつけるたびに部屋の中へ“社会”が流れ込んでくるのを楽しんでいる。ちょうど同じタイミングで、いつもお世話になっているカメラマンの人が自転車を譲ってくれた。休日もほとんど徒歩圏内にしか行かないので、一気に行動範囲が広がった。環境の変化はおそろしくもあるが、少しずつ慣れていこうと思う。おれの部屋は人から譲ってもらったものばっかりだ。ふてくされてばかりの20代も終わりに近づき、周囲の人との関係の大切さを感じる日々。

 

 中野通り沿いの幡ヶ谷のデニーズが潰れて、オシャレなダイニングに変わっていた。原稿を書くためにラップトップを小脇に抱えて全身ジャージ+サンダルで入店したところ以前のように荒廃した風景はどこにもなく、店内にはオシャレなジャズが流れていて明らかに浮いてしまった。

 深夜のデニーズでは、関係性の曖昧な男女をたくさん見ることができた。「次に見つかったら本当に終わりなんだから、気をつけてね」と完全にグレーなセリフを交わす中年不倫カップルの隣に座ったときは、書いている途中の原稿を放り投げて2時間近く聞き耳を立ててしまった。曖昧な人間は曖昧な場所でしか生きることができない。ファミレスの喫煙席とか、真夜中の児童公園とか、明け方のバス停のベンチとか。みんなどこにいるんだろう。

 

 ZeppTokyoでQuickJapan創刊25周年イベント。BiSHのパワーあふれるパフォーマンスに圧倒された。入り口のパネルに並んだ今までの表紙グラビアを見るとやはり平成の時代が反映されているようでおもしろい。ライターとしてはまだ記事を1回書いただけだが、10年近く愛読してきたので感慨深い気持ちに。イベントに誘ってくれた編集さんにはタイミングが合わず挨拶できないまま、他にも大勢の関係者がいたが誰も知り合いがいないのでひとりで純粋にライブを楽しんで帰った。同業者がたくさんいると萎縮してしまう。おれは肥大化した自意識と繊細なメンタルを併せ持つちっぽけなライターだ。

 

 豊島ミホ『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』を読む。高校時代に背負った傷を抱えたまま大人になった筆者の自尊心を取り戻すための戦いが詳細に記されている。「自分ルールで生きる」という当たり前のようで難しい解決策に行き着くまでに多くの紆余曲折があり、青春小説家としてデビューしたあとの葛藤も生々しい。自分のしたいことを実現するために相手のルールで「勝者」になろうとしてしまう、というメンタリティもぞっとするほど共感できる。すでに小説家を引退している著者は、自身の小説家時代をそれほどポジティブに捉えていないようだった。しかし、豊島ミホは素晴らしい青春小説の書き手だったはずだ。おれは高校時代から大学時代にかけて、豊島ミホが残したすべての著作を読んだ。いつかそのことについてきちんと書きたいと思う。

 

 

 

 数年前、インターネットで『元アイドル██████がAVデビュー』という見出しにつられて有料動画サイトのリンクに飛ぶとそこには見覚えのある若い女性が中年の男優とセックスをしている最中のキャプチャ画像が数枚ほど並んでいた。眠たげな二重まぶたと少し歯並びの悪い口元で思い出すことができた。彼女は雑誌のカラーグラビア掲載の時でさえだいたい無愛想な表情をしていたけれど、時折見せるはにかんだ笑顔がかわいかった。とてもありきたりな表現だがほんとうにどこにでもいるようなちょっと暗めな女子大生だったのだ。

 おれはその動画を見ることができなかった。正確には、サンプル動画を数秒再生したところでブラウザを閉じた。ホテルの一室を映した画面に安っぽい煽りコピーが流れて、猛烈に喉のあたりが苦しくなった。

 数ヶ月後、動画サイトから彼女の出演作はすべて削除された。それから新作も販売されることはなかった。『元アイドル』『衝撃のAVデビュー』というセンセーショナルなテキストと、インタビューに答える彼女の粗雑なサムネイル画像だけがインターネットの海に今もぷかぷか浮かんでいる。アイドル時代の映像はもうどこにも残っていない。サムネイルの中の中途半端な笑顔だけが、おれが今思い出せるイメージのすべて。

 

 薄桃色のワンピースを着た彼女が暗闇に細い腕を伸ばす。キーボードの譜面台に巻きつけられた電飾の光がきらきら光る。JR新宿駅南口、22時半。舌ったらずな歌声とペラペラの電子音が閑散とした路上に響いて、数人の聴衆がそれを静かに聞いている。眠たそうな二重まぶたが██████によく似ていた。彼女のウィスパーボイスは当時2ちゃんねるで「相対性理論の二番煎じ」と強烈にこき下ろされていたが、アイドル戦国時代に雨後の竹の子のごとくデビューしたユニットアイドルとしてはじゅうぶんに上手い部類だったと思う。確かにやくしまるえつこによく似た歌い方だった。

 

 松田聖子のカバー曲を歌い終えた彼女はキーボードをぽろぽろと鳴らしながら「聴いてくれてうれしいです、今日はありがとうございました」と小さな声であいさつをした。よく見ると██████にはあまり似ていなかった。完全に別人のようだ。もしかしたらあり得るかもしれない現在の██████の姿を、路上で松田聖子を歌う彼女の幸福な時間に重ね合わせていた。アンコールの演奏が終わり、足を止めていた聴衆がそれぞれの方向にふたたび歩き始める。最後にもういちど振り返ると、機材を片付けている彼女とわずかに目が合った。

 

 起きたのは昼の13時を回った頃だった。ノートパソコンのブラウザが開きっぱなしになっている。枕元に置いたiPhoneを起動すると、知らない番号から留守番電話が入っている。

「久しぶり、██████です。████████████████████████████████ ██████████████████████████████████████████████████████」

 

 ずっと悲しい夢を見ていた。かつて誰かが見た夢だ。固有のものなんてどこにもなくて、すべてのイメージと発話は粗製乱造のデッドコピーに過ぎない。想像上の恋人は皮肉っぽい笑い方がサムネイルの中の██████に少しだけ似ていた。