2019年3月13日

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 土曜、明け方、救急車の音で目がさめる。遠い昔の夢を見ていた。昨日の夜に飲んだペットボトルのサイダーに口をつけると、すっかり炭酸が抜けていて、ベッタリと甘い匂いが鼻をつく。隣の部屋から朝のニュース番組の音がする。資源ゴミの回収日。カーテンの隙間からのぞく空がまぶしく晴れていて、ベランダに干した洗濯物が乾いている。また眠っていた。

 昼前に、高校時代の同級生がアパートを訪ねてくる。彼はおみやげに買ってきた成城石井のティラミスを食べながら、「入籍したよ」と言った。入籍、といわれてもあまりピンとこなかったので、それって、もう結婚したってこと?と聞くと「そうだよ」と言われた。お祝いに、新宿でもんじゃ焼きを食べた。27歳らしい休日だと思った。他者を介して、社会とゆるやかに接続していく。その先のどこかにおれの知らない世界が広がっていて、それはたぶん、おれの生活と交わることがないのかもしれない。

 

 「志賀理江子ヒューマン・スプリング」展(東京都写真美術館)。大判に引き伸ばされたカラー写真が立方体の4面に貼られ、空間の中に林立している。死の運命を内包した生、破壊の運命を内包した再生のイメージが空間に立ち上がる。東北地方の北釜地区で長年にわたって滞在制作を行ってきた志賀理江子は、これまでも自然とともにある生、そしておそらく震災を経験した人々が切実に感じた死のイメージを、ヴィヴィッドな画面の中に編み込んできた。多くの写真は志賀の手によってセットアップされた空間の中で撮影されており、その制作過程そのものが、死者を弔う儀式のようなものなのかもしれない。展示空間のいちばん奥から振り返ると、顔を赤く塗った青年がこちらを見つめ返してくる。そこから見ることのできない立方体の3面には、年配の男性たちが目を閉じた集合写真、ソファーの上で目を閉じる女性、眠る人々。文字通り、生と死のイメージがひとつの空間のなかで表裏一体となっている。日々の生活から自然、そして死と再生までがひとつの空間のなかで重層的に描かれている。その壮大なスケール感はもちろん、志賀の写真の持つ呪術的なイメージと、ひとつの場所に根付いているからこそ生まれる説得力が存分に発揮された展示だったように思う。

 

 中野のブックファーストでレシピ本を買う。年末から続いていた仕事の波がひと段落ついたので、しばらくサボっていた自炊をまた始めようと思った。料理をしている間は、何も考えなくて済む。狭いキッチンに立って、トマトソースのパスタをつくる。ナスとベーコンと玉ねぎを炒める。にんにくを細かく刻んで、お湯で溶かしたコンソメと混ぜる。赤ワインを大量に入れる。フライパンの上で、パスタとソースを和える。昔、イタリアントマトでバイトをしていたので、綺麗にパスタを盛り付けることができる。トングを持って手首でひねりを加えて、平皿の上に高く積み上げるようにパスタを落とす。バジルの葉をちょこんと載せて、綺麗に盛り付けられたパスタを見て、やはりおれは料理に向いているのではないかと思った。レシピがあるものを、その手順通りに作るのが好きだ。独創的なメニューを作りたいとか、誰かを喜ばせたいとかじゃなくて、ルールを守っていれば必ず平均点にたどりつくから。飛びぬけておいしい必要はなくて、栄養補給に耐えうる最低限の味があればいい。もともと料理は好きだったけど、こうなると好きとか嫌いとかの話ではなくて、生活の中に新しいルーティンが生まれることで心が満たされる。だいたいのことにおいて、おれはそういう意識で自分の行動をコントロールしている。失敗しないフォーマットを最初に頭に入れて、そこから逸脱しないように作業のルーティンつくり、あとはその手順に沿って粛々と進行する。まずくはないけど、特においしくもない料理ができる。それを毎日食べる。毎晩、寝ている間に点滴で栄養補給ができるようになったら、きっと料理はしないだろう。

 

 もう何年も会っていない大学時代の先輩と連絡をとる。来月、東京に戻ってくる。思い出はきれいに漂白されていて、心の底で通じ合っていたような、まるでそこに深い絆があったような、そんなやりとりになる。あのときはサンダルを履いていたから、初めて入ったクラブで相手にされなかった。屈強なガードマンに足を踏まれた。情けない身体を奮い立たせて、ラウンジの壁にもたれてコロナを飲んでいるギャルに話しかけて、音楽の話をしている途中に知らない男がその子の肩を抱いてどこかに連れ出していった。テキーラを飲んで、立っていられないほど気分が悪くなる。好きなDJが見られなくて残念だった、来た意味がない、と先輩は言った。24時間やっているチェーンの居酒屋に入った。「来週は卓球さんのイベントがあるから、切り替えようぜ」だって。知らねえよ。何杯も烏龍茶を飲んで、繰り返しトイレで吐いて、眠気に襲われて、会話は弾まない。明日は朝から新しいバイトの面接がある。この先、おれはもっとみじめな思いをたくさんするだろうな、とぼんやり思った。音楽のことはどうでもよくて、本当は華やかな服を着た女の子と一緒に話がしたかった。

 

 始発を待って、5時に居酒屋を出た。夏の朝。昨日の夜から小雨が降っていて、ふたりとも大学には行っていない。

 

 3月2日、「オードリーのオールナイトニッポン」の日本武道館ライブへ。春日のトークはフライデー報道後のドタバタ劇と、それにともなって意図せず進展を見せた彼女の家族との関係性について。報道によると、春日が「狙っている女」の年齢をずっと25歳と言っていたのは、一般人の彼女を気遣ってのことだったのだという。芸人が深夜のラジオを続けるなかで、異性とのエピソードを一切語らずに10年も続けていくのは難しいだろう。しかし、自分と同じ年数を重ねて生きてきた彼女に「25歳」という記号を与えることで、エンタテイメントの世界から遠く切り離すことができる。ラジオで彼女とのエピソードを詳細に話せば話すほど、現実の、40歳の彼女とはまったく別のイメージがリスナーの頭の中に立ち上がる。「狙っている女」というワードも含め、一般人の彼女を守るための画期的な発明だったと思う。これは単なる空想でしかないけれど、タレントが誰かと人生を分け合って生きるためには、そういうことが必要なのだろうと思った。エンドロールの場面、両家の家族が並んだ写真の真ん中で、スーツを着て居心地が悪そうに佇む春日。テレビスターとしての顔とはまた違う、ひとりの等身大の人間の顔をしていた。

 若林のトークは「家族がスピリチュアル好き」というエピソードから、青森のイタコに会いにいく話。南沢奈央よりもずっと前に付き合っていた元カノも「スピリチュアル好き」じゃなかったっけ、と思って『ナナメの夕暮れ』を読み返したら、たしかにそういう記述があった。「女性に母親を求めていたのかも」という本人の話や、「私はお母さんじゃないんだよ」と言われてフラれたというエピソードともリンクする。おれは若林の元カノの話が大好き。別れた彼女に幡ヶ谷のアパートを掃除してもらって号泣したり、コインランドリーの帰り道で泣きながら彼女を抱きしめたり。他者と通じ合いたい、わかり合いたいという感情が人一倍強く、しかしその不器用さゆえに「わかり合えなかった」記憶だけをいつまでも鮮明に覚えているのだろう。

 

「私のなかで若林さんは“恋を引きずる男”で有名だからさ」(2016910日放送、春日の発言より)

 

 覚えていることは、それだけで尊いのだと最近は思うようになった。慌ただしい日々に飲まれて、なんだかすべて忘れてしまう。

 

 お仕事で声をかけてもらって、3号にわたって「オードリーのオールナイトニッポン」の番組本をお手伝いした。仕事でもプライベートでも、土曜深夜のふたりのトークに救われた1年だった。大した貢献はできなかったけれど、たぶんずっと忘れられない仕事になると思う。ライブの最後の漫才の場面、Analogfishの曲が流れて、ふたりが漫才師として舞台に上がった瞬間に少しだけ涙腺が緩んだ。

 

 

 

「海が見たい人を愛したい怪獣にも心はあるのさ出かけよう砂漠捨てて愛と海のあるところ」(岡田富美子「怪獣のバラード」)

 

「他人の気持ちが分かったのではなく、他人から発せられた言葉を自分の都合の良いように解釈して、感情的なカタルシスを得ているだけだ。このとき、誰でも良い誰かを、自分を投影する人形として扱っているに過ぎない。」(高石宏輔「あなたは、なぜ、つながれないのかラポールと身体知」)

 

 

あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知

あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知

 

 

 

 たがいに記号を交換しあって、いつか私たちは、わかりあえるのでしょうか。インターネットの回線はいつも頼りなくて、接続と切断を延々と繰り返している。一瞬、電波が混信して、わずかに誰かの顔が見える。それはほんのわずかな手がかりになって、あとはイメージを膨らませるだけ。手紙は誤配される。特定の誰かにはいつも届かない。毎晩、布団に入る前に日記を書いて、瓶に詰めて夜の海に流している。不特定の他者へ、一人ひとりが名前を持った、固有のあなたへ。

 数秒前までほしいものがあったはずなのに、それがどのフロアのどの店にあったかもわかっているはずなのに、ぜんぶ忘れてしまって移動販売のクレープを食べる。冬のショッピングモールの巨大な箱の中で迷子になる。熟したバナナと生クリームが甘くておいしい。列のいちばん前から背後を振り返って、知らない人たちの顔を見る。わたしはあなたたちと友達になれるかもしれないし、恋人になれるかもしれないし、家族になれるかもしれない。もしかしたら。もともと気さくで優しい人なんです、小学生の頃は「人一倍、友達思いで親切です」と通知表に書かれていたから。慈愛に満ちたわたしの目をどうか信じてください。初めまして、ごきげんよう。こわがらないでくださいね。