2018年12月3日

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猛烈に模様替えをしたくなる。新しい服が欲しくなる。毎年、特にこの季節は。隙間だらけのアパートに風が入ってくるせいか、とにかく部屋が凍えるほど寒い。3年ほど使ってボロボロになったブランケットを捨てた。裾が擦り切れたダウンジャケットも捨てた。新しいものを買うお金はないけど、今使っているものや着ているものや食べているものがぜんぶ間違っている気がする。セブンイレブンで1日分の弁当とサンドウィッチとお菓子を買って日曜日は部屋から一歩も出ないつもりだった。でも明日からの仕事のことを考えると防寒着は必要だと思って外に出た。笹塚駅前の無印良品にはメンズの服は売っていなかった。無印良品に来るたびにメンズの服が全然ないことに気がつく。そのまま下北沢まで歩いて、古着屋でなんとなく肌触りが気に入ったセーターとニット地の帽子を買った。家に帰って身につけてみると、全然しっくりこなかった。また間違えた、と思った。

 毎日、中野駅から歩いて笹塚方面へ帰る。パチンコ屋の前で若い男女が抱き合っている。足元のカバンが歩道側に倒れている。途中のファミリーマートピザまんとあたたかいコーヒーを買う。ここ数ヶ月は仕事が深夜まで続いていて、家に着いてシャワーを浴びるとすぐに眠りに落ちてしまう。30分かけて中野通りを歩く時間だけがいろいろな締め切りや仕事の連絡から解放される時間だった。明日は休もうかな、と思っても布団に入って眠りにつけば次の日には普通に自分のデスクで仕事をしている。LINEを返さなきゃいけない友達がいることを思い出す。申し訳ないと思う。だけど相手も、たぶんもう忘れている。直接会って約束を交わさなければ、時間の経過とともに全部がなかったことになる。最近はそう考えている。おれもそういうふうに生きていける。一個人のセンチメンタルや自意識に誰も見向きもしないので、これは東京でサヴァイヴしていくための自己暗示だ。誰も気にしていないよおれのこと、という態度でいるとどんどん孤独に沈んでいくので精神衛生上あまりよくない。

 10月、カナダでオーロラを見た。北部の小さな田舎町に宿泊して、昼間は閑散とした町を歩いた。町の真ん中に一軒だけ、中華料理屋があった。内装はファミレスのそれに近く、主にアジア系の人たちが働いていて、店内の客もほとんどがアジア系の観光客。日本人の20代くらいの女性が注文を取りにきた。髪を後ろで結び、黒縁メガネをかけている。オーロラの研究をするためにカナダに来て、そのままここに住んでいると言っていた。かなりこわばった表情だった。現在は大学も卒業して、研究はしていない。昨日はオーロラを見て、今日もオーロラを見に行く、と言うと、「この時期はけっこう、毎日見れますよ」と教えてくれた。やはりオーロラが好きなのか、その会話のときだけは小さな目元が少し緩んだ。オーロラを追ってこの町の大学に入り、そのまま中華料理屋で働き続けている。もう少し話を聞きたかったが、忙しそうだったのでそこで話は終わった。カナダは寒かった。オーロラは感動した。

 ほとんど寝る間もなく平日の5日間は過ぎていき、土曜日の夕方に神保町のベローチェで大学時代の友人たちと会った。学部を卒業したのが5年前だから、5年ぶんの年を重ねた。学部生のころ、授業のある日は一日中ベローチェで煙草を吸っていた。神保町のジャニスで借りたCDをiTunesにインポートしながら、ヴィレヴァンで買った本秀康や真造圭伍やよしながふみの漫画を読んで、友人たちの授業が終わるのを待っていた。それが当時のおれの精一杯のサブカル的態度だった。おれが大学院で学生生活を延長している間にも、彼らは立派な会社で働いていて、きっと誰かの役に立つ仕事をしていた。車も買うし、ゴルフもするし、結婚もする。毎月の給料をすべて使い切ってその日暮らしをしているおれには想像もつかない世界。そんなことばかり考えて20代の半分を過ごした。でも、すべて自分で選んできたのだ。ベローチェにいた時期に、かなりの数のブログを読んだ。今でこそ「こんにちは、ライターの〇〇です!」で始まる押し付けがましいライターのネット記事を心底軽蔑しているけど、文章を書くようになったきっかけは間違いなくインターネットだった。当時はまだギリギリ個人ブログの文化が残っていた。はてなダイアリーで、風俗で働く巨乳の女子大生や学生結婚して大学を中退した音楽家志望の男、ブラック企業に勤める新卒サラリーマン、留年を重ねまくっている美大生などのブログを毎日チェックしていた。彼らの文章は胸焼けするほどセンチメンタルで、どれも息が詰まるような長文だった。とにかく長い文章を書くのが好きなのもそこに原因がある。今は誰も日記を更新していない。巨乳の女子大生は「風俗嬢を卒業する」というエントリを更新したあと、またすぐに別の風俗店で働きはじめて、しばらくしてブログを閉鎖した。ブラック企業の男も留年美大生も最終的にはそれなりに待遇のよさそうな会社に就職して、ブログを閉じた。ピアニスト志望の男は「これでよかった」という言葉を残して、手首に大きな刺青を入れ、結婚し、ピアノを置いてオーストラリアへ旅立った。どこまでも社会と接続しない、透明で無意味なテキストだった。noteで時事問題の浅い分析やワナビー向け自己啓発を垂れ流しているインフルエンサー気取りのやつらに読ませてやりたい。おれの美学は確かにここにあった。もうすぐはてなダイアリーもなくなる。

 大学生の頃からコカコーラを飲み続けているし、朝は毎日コンビニで蒸しパンを買う。夜の缶ビールはアサヒスーパードライ。煙草は10年前に吸い始めたときからずっとメビウスの8mmのソフトボックス。日々の生活のルーティンを愛している。引っ越さなければいけない理由がない限り、この先もずっと笹塚のアパートに住み続けるのかもしれない。死ぬ頃には築80年だ。壁やフローリングの床や窓のサッシに髪の毛と体液と煙草の煙が染み込んで、肉体が空間と一体化する。怨嗟と情念で満ち溢れた、きれいな箱庭。

 先月、神保町のジャニスも閉店した。大学を卒業してからめったに行くことはなくなったけど、神保町にいた2年間がいちばん音楽を聴いていた時期だと思う。当時、仲の良かった友達に豊田道倫七尾旅人テニスコーツのアルバムを貸してもらった。ジャニスに連れていってくれたのもその人だった。一緒にtofubeats石野卓球のオールナイトイベントに足を運んだ。どついたるねんのライブにも行った。どつ、めちゃくちゃカッコよかったな。彼女は大学を卒業して地元のある九州に帰っていった。CDはあげるよ、と言っていた。そのアルバムを、おれはまだちゃんと聴いたことがない。たまに一緒にベローチェにいた男は、吉田喜重ジャ・ジャンクーエドワード・ヤンの映画を教えてくれた。卒業後、しばらく無職を続けていた彼とはたまに連絡を取り合っていたが、ようやく就職した会社を辞めて失踪してしまった。大学に入ったばかりのころから尊敬していた役者の友達も数年前に舞台を降りた。舞台の上で圧倒的なオーラを放つ彼女を見て、「本当にスターになるかもしれない」とワクワクした。缶の甘いお酒を飲みながら映画や音楽や漫画の話をしていた友達はみんないなくなってしまった。思い出話をすることだけが今の精一杯のサブカル的態度だとしたら、こんなに惨めなこともない。

 日に日に本棚の本が増えてもランチョンマットを換えても新しいタオルケットを買ってもどこまでもおれの部屋でしかない。駅前の商店街に新しくおしゃれな焼き鳥屋がオープンしても入れない。おいしいハンバーガー屋さんがなくなって、24時間営業のフィットネスクラブができた。そんなことばっかりだ。夜中にフィットネスクラブの前を通るとつらくなる。身体を鍛えている同年代の男性を見かけると少し落ち込む。たくましい肉体美、さわやかなエロス。映画を観て美術館に足を運んで本屋に寄って、という一日を過ごしてなんだか意味のあることをしたような気分になったけどたぶん本当はそんなことないんだと思います。おれもいずれは必ずロハスサステナブルな暮らしに目覚めてフィットネスクラブに通って勤労で社会に貢献したいと思うようになるのだろう。本当にそうなるんですよね?心から信じる宗教とかがあればたぶん大丈夫だけど別に何もない。無意味で透明な生活を愛している。今日もあってもなくてもどっちでもいい一日だった、と考えるとうれしくなる。