2018年8月19日

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 8月に入ってから、幡ヶ谷のプールに通っている。健康のためとかそういうことではなく、アパートの部屋が暑すぎるから。暑がりのくせにクーラーの冷気が苦手なので、プールで身体を冷やしている。泳いでいるのはほとんどが高齢者か親子連れで、20代の男性が水中ウォーキングをする姿はなかなか不審だ。真っ黒く日焼けした監視バイトの男が、プールサイドのベンチで休んでいるおれをじっと見ている。子どもたちの声が響く穏やかな区民プールで唯一、監視しがいのある奴として役目を引き受ける。30分ほど経つと、監視役が大学生らしき女性にバトンタッチした。彼女はこちらには目もくれず、常連らしき老人と話したりしている。小学生くらいの子どもたちが立て続けにプールに飛び込み、「危険ですのでゆっくり入ってください」とアナウンスが流れる。体が冷えてきたので更衣室に向かって歩いていると、監視バイトの女性から「おつかれさまです」と声をかけられる。更衣室の鏡に映った自分の姿はどこか所在なさげで、何日かヒゲを剃っていないせいでたいへん醜悪な顔面。強烈な陽射しのなかを歩いて家に帰ると、洗濯物が乾いている。ベランダに置かれた洗濯機に目をやると、フタの縁に靴下が一足引っかかっている。 

 

 

 総量では別に大したことはないのだが、収入に対して明らかに飲酒の回数が多い。仕事の帰りに笹塚のサミットでアルパカの白を買う。おれは酒の味がわからないので「すぐ酔える」「気持ちよく酔える」「強烈に酔える」というおおまかな指標のもとに酒を選んでいるのだが、アルパカはすぐ酔えるうえに気持ちよく酔えるので重宝している。冬場に部屋で泥酔してアパートの階段を滑り落ちたことがあって、そのときは尻を軽く打撲した。そのまま30分ほど階段の下に座り込んだ。中島らもはずっと自分の死に方を予言していて、「おれはラリって階段から落ちて死ぬ」とよく書いていた。そういう死に方はできないだろうなと思う。『今夜、すべてのバーで』の中で一時退院した主人公がそば屋で瓶ビールを飲む場面があって、いつか入院することがあったらあれを絶対にやるんだと心に決めている。「酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、『飲まない』ことによって与えられなければならない。それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う」(中島らも『今夜、すべてのバーで』)

 

 

  来月で27歳になる。センチメンタルな青年期を終えて、これからは愉快で気さくなアラサーとして愛されていきたい。

 

 

 玉田企画『バカンス』と、ロロ『いつ高シリーズvol.6 グッド・モーニング』を観る。玉田企画は前作の『あの日々の話』と同様、底意地の悪いユーモアと気まずい空気の演出が圧倒的に巧い。弟夫婦の新居の設計を手がける建築家の兄とその妻と娘、そして建築事務所の助手。当人たちが切実な問題として頭を悩ませている「二世帯住宅」というワード一発でこんなにも笑えるとは。前作から引き続き出演している関西弁の男のデリカシーのない発言の数々は、調子に乗っているときの自分を見ているようで身につまされる(マジで気をつけたい)。ラストシーンの投げ出し方がいい。説教臭いメッセージもなく、ただ切ない情景だけが浮かんでくる。会話劇としては抜群の出来だと思うのだけど、あまり話題になっていない。あの息が詰まるような、逼迫した空気感はあまりウケないのだろうか。確かにわざわざ金を払わなくても、あの手の「気まずさ」は日常の中でも頻繁にエンカウントする。でも、それを観客として思いっきり笑えるがいいと思う。ロロの『いつ高』は王道の青春群像劇。早朝、学校の駐輪場で繰り広げられるガール・ミーツ・ガール。玉田企画の意地の悪さとは正反対のイノセントな世界観で、ふたりの女子高生の美しい交流を描いている。おれはままごとの『わたしの星』が大好きなのでつい比べてしまうのだけど、歌と踊りを身体に重ねて自由に操れるのが『わたしの星』の高校生だとすれば、『いつ高』の高校生たちは上手に歌うことも軽やかに踊ることもできない。不恰好で動作も拙く、それはたぶん思春期特有の気恥ずかしさやカーストに縛られた閉塞感によるものだろう。しかし「うまく踊れない」からこそ、彼女たちは髪を振り乱して踊る。大人になるためのささやかな通過儀礼として。

 

 

 今年の2月ごろから「あなたと元カレとの一番印象的なエピソードを教えてください」とさまざまな女性に尋ねて回り、その集積としてミニコミ誌を制作した。「単純化・一般化して語られがちな恋愛を、私的なエピソードに基づいて紐解いていく」という使命感をもって始めたが、おれ自身もやはり一般論としての「恋愛」を内面化しすぎている部分があり、インタビュイーとの会話を通じて考えの浅はかさに気付かされることもあった。これからどう活動していくのかは未定だが、自主制作誌として世に出した以上は責任を持って展開していきたい。そうして「元カレの思い出を取材して文章を書く」という変態行為を繰り返しているせいか、恋愛に関する相談を受けることが増えた。誤解されることも多いが、おれは元カレの思い出を聞くことをライフワークとしているのであって、現在進行形の恋愛の悩みに対してアドバイスができるわけではない。別に恋愛経験が豊富なわけでもないし、ただ単に「そういう趣味の人」なのだ。しかし恋バナを聞くのは好きなので、酒の席に呼ばれればなるべく駆けつけるようにしている。だいたいの人は、おれなんかでは助言しようもない悩みを抱えている。各々好きにやってくれ、つらいけどなんとかやっていこうぜ、としか言いようがないのだが、「花束を持って自宅に押しかけてみれば」「直筆のラブレターで想いを綴ってみるといいよ」などと雑な意見を述べている。知人の皆様におかれましては是非、恋愛の深い沼の中で悶え苦しみ、詩的で文学的な経験を蓄積していってほしいと願っている。いずれ別れの日を迎えたときに、味わい深い元カレ/元カノエピソードをおれに聞かせてほしい。

 

 

 7月、母校の野球部の試合を観に行った。夏の甲子園大会の埼玉県予選。会場の県営大宮球場は、小学生のころから何度も試合で訪れていた場所だ。大宮駅前の商店街から野球場周辺まで続く氷川神社の参道を歩いていると、なんとなくノスタルジックな気持ちが湧き上がってくる。今年の甲子園は第100回の記念大会で、おれが高校3年生のときが第91回大会だったから、もう10年近く前のことだ。普段はほとんどスポーツを観ないが、夏の高校野球だけはなんとなく気になってしまう。

 試合開始から30分ほど遅れて球場に着くと、3回を終わって0-1で負けていた。内野スタンドの入り口から、公式戦用の、ベージュに赤の刺繍のユニフォームを着た母校の選手たちの姿が見えた。おれもあれを着て野球をしていた。今となっては休日に身体を動かすことすら億劫になってしまったが、高校に入ってから部活を引退するまでの2年半は、ほとんど休みもなく野球ばっかりやっていた。野球をするために学校に通っていた。高校生の頃はたまに試合を観にきてあれこれ口出しするOBを心底うっとうしく思っていたけど、今となってはおれも(もちろん口出しはしないけど)うっとうしいOBだ。「チャンスなんだから打ち急ぐなよ」とか「あーあ、今のフライ取れただろ、もったいねー」とか心の中でつぶやいている。

 試合はそのまま回を重ねるごとに失点し、母校は負けてしまった。学校全体が進学にシフトしているようで、部員の数も減っていた。ろくに勉強もせず野球ばっかりしていた自分たちの頃と比べるとレベルは落ちているけど、みんな楽しそうでよかった。自分たちの方が正しかったとは思わない。当時は「趣味でやってんじゃねーんだよ」と後輩に説教していた。どうしようもなく嫌な先輩だ。趣味なのに。当たり前だけど、勉強だって、友達と遊ぶことだって、高校生にとっては大切だ。全員がスポーツで実績を残したいわけではないだろう。最近の「ブラック部活動」の記事や、日大アメフト部の報道を読むたびに、当時のことを思い出して胸が痛む。

 今はどうなっているか知らないけど、春の甲子園の「21世紀枠」は秋季県大会のベスト16からが埼玉県高野連の推薦校対象になっていた。一度、地区大会を勝ち抜いてその一歩手前までいったことがあった。結局そこで負けてしまったが、ほとんど夢物語だった甲子園への道が、ほんのわずかに開けたように思えた。ちなみに、仮にベスト16で推薦を得ても甲子園に出場できる可能性はゼロに近い。しかし、その後の半年間はますます練習に熱が入った。

 そして、学校中の期待を背負って挑んだ最後の夏の大会は、あっさり初戦で負けた。テレ朝の「熱闘甲子園」みたいな、負けた後にみんなで泣くやつを想像していたけど、あまりにあっけなくて涙も出なかった。やりきった、という思いも少しはあったが、「こんなもんか」という喪失感の方が大きかった。引退した翌日、予備校の夏期講習の申し込みをした。

 野球をやめてしばらく経ってから、自分がそもそもスポーツをそんなに好きではないことに気がついた。しかし、ほんの一瞬でも「甲子園」がわずかな現実味を持って見えたことは、今でも思い出になっている。今年の甲子園は暑くて大変そうですね。

 

 

 「プロポーズの日も、結婚指輪の種類も、全部わたしが決めたの。こういう言葉がいい、この指輪がいいって」

 台風が去った日の夜21時。客もまばらな喫茶店で30歳前後の女性がふたり、小さな丸テーブルをはさんで話している。

「この写真、婚姻届を出した日なんだけど、ふたりとも風邪ひいてたからマスクしちゃってて」

 壁際に座ったショートカットの女性が、スマホの画面を開いてみせる。

「全然顔見えないけど、幸せそうじゃん」

「そう見える?実はあんまりよく覚えてないんだけど」

手前に座っている女性の表情は、こちらの席からはよく見えない。長い髪の毛を後ろで結び、キャップをかぶっている。話し方から察すると、ショートカットの女性より少しだけ年上のようだった。

「結婚生活はどうなの?毎日幸せ?」

「ムカつくことのほうが多いよ。別に嫌いじゃないけど、なんか些細なことでもすっごいムカつく。なんで別れないんだろうって思うけど。こんなもんなのかな?」

ショートカットの女性は時折コーヒーをすすりながら、ボソボソと喋る。キャップの女性が細い煙草に火をつける。

「わかんないけど、そんなもんなのかね?」

「確かに、周りの結婚してる友達からも『結婚、めちゃくちゃいいよ!』って話は聞いたことないんだよね。夫婦生活ってなんなんだろう、って思う」

「私も最近、友達にすごい言われるんだよね、『結婚しないの?』って。でも『結婚っていいもんだよ』とは聞いたことないかも。一緒に旦那のグチを話せる人を探してるだけなのかな?」

 会話の熱量が上がり、狭い喫茶店の喫煙スペースに声が響く。おれの向かいに座っているサラリーマンも、ふたりの様子を見つめている。

「正直、これ意味あったのかなって思っちゃう。私も周りに流されてたフシもあったし。友達が続々結婚してるから、私もしなきゃ、って。でも、なんにも変わらない。仕事が遅いから家でご飯作ったりもしてないし、別に養ってもらってるわけじゃないし」

「私も考えたこともあったけどさ、結婚。でも、向こうが日本に来るか、私がカナダに行くかだから。向こうに住んで働くなら、ビザも必要だし。よっぽどタイミングが合わないと、考えられないなあって」

キャップの女性はカナダ人と付き合っている。少しの沈黙が流れたあと、ショートカットの女性がおもむろにトートバッグから本を取り出す。

「タイミングねえ……。運勢とか、星の向きとかもあるだろうね。この本に新しい占いが載ってたんだけど……」

ショートの女性がパラパラとページをめくり、キャップの女性が身を乗り出す。ふたりは占いにハマっているらしかった。

「結局さあ、こんなの嘘か本当かわかんないけど、いいことだけ信じたいよね」

キャップの女性が煙草の火を消しながら呟く。

 

 

土曜日の仕事を終えて、友人と小田原の花火大会へ。酒匂川の土手を歩く途中、制服のシャツとスカートを纏い、凛とした表情で花火を見つめる中年男性の姿に目を奪われる。「バイト先の店によく来ている」と友人に教えてもらう。ハレの日の夜の熱気に包まれて、心なしかうれしそうな表情だった。明日からもまた制服に身を包んで街を歩くのだろうか。くだらない社会規範の中で、「制服」と「中年男性」の間に横たわる断絶を思う。あなたも一人だし、おれも一人だ。

 

 

日雇いの倉庫整理のバイトで仲の良かった友人・Nくんから電話がくる。

「上野でSさんと飲んでるけど、今から来れない?」と誘われ、どうしようか考えている間に、電話の向こうからSさんの声が聞こえた。

「ヤマモト、忙しぶってんじゃねーよ!どうせ暇だろ!」

Sさんはおれより7歳くらい年上で、バイト終わりに友人とSさんを含めてよく3人で飲んでいた。髪を毛先だけ金色に染めて、夏場はヘソの見える服を着ていて、舌と鼻にピアスを開けていた。そのセンスは理解しがたいものがあったが、手首に入っていた黒い鳥の刺青はかっこよかった。

 少し考えて、「ごめん、上野はちょっと遠くて行けない」と返すと、Nくんの返事は「了解!」と一言だけで、すぐに通話が終わった。向こうでSさんが何か言っていたが、聞き取れなかった。正直Nくんとはあまり飲みたいとは思わなかったが(まともに働いている様子がないのに金遣いが派手でかなり胡散臭い)、Sさんには久しぶりに会いたいと思った。彼女は酒を飲むと必ず元カレの話をした。ホスト、消防士、俳優の卵、IT起業家などバラエティに富んだ面々で、最後には必ず他の女と浮気をして別れていた。魚喃キリコの漫画に出てくるようなパンクなキャラクターで、DVの話や借金の話は正直かなり盛っていたと思うが、頭の回転が速くて話し方もおもしろかった。でも、そんな話よりも黒い鳥の刺青のことが聞きたかった。なんとなく気後れして聞けないまま、疎遠になってしまった。

 もしかすると刺青に大した意味はないのかもしれない。そうだとしたら、それがわかってしまうのが嫌だった。何か切実な祈りや秘密が込められていると信じていた方がいい。おれも「嘘か本当かわかんないけど、いいことだけ信じたい」のだ。全面的に信じることはできないけど、いいことだけは信じていたい。占いに似ている。